その煉瓦構造物の最寄り駅は「布施屋」です。 (「ふせや」ではなく、ほしやと読みます。) 紀和鉄道時代からある歴史ある駅の一つで、開業は明治32年です。 この駅にも煉瓦構造物がありますので、先に此方の方を紹介します。 |
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ホームに立つと、まず目に飛び込んでくるのが、この煉瓦積み。 |
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煉瓦積みが残されているホームは全国に数多く存在しますが、 布施屋駅のこの煉瓦積みは吃驚仰天のフランス積み。 自分が思いつくのは他に柘植駅位です。 [マウスオーバーで柘植駅の煉瓦ホームが表示されます] |
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煉瓦積みのホームはすでに線路が撤去され、 単式二面二線となっています。 |
奈良方の踏切を渡り北進、 和歌山線に沿って東西方向に延びる旧大和街道に入り、東へ足を進めると... |
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車窓から見えていた煉瓦構造物に到着!! | |
喫水線の跡が示す通り、田植えの時期になると写真のような状況になります。 | |
今の時期でも構造物付近は 長靴程度では太刀打ち出来るような水量ではありませんので、 観察に当たっては注意が必要です。 (ただし、下流側(線路側)へ少し向かうと途端に水深が低くなる為、 長靴があれば、正面からその姿を捉えることが出来ます。) |
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扁額につい目が行きがちですが、ここは落ち着いてその周辺の部位の観察を行います。 まず、積み方ですが、お馴染みイギリス積み。 |
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気になるところが少しありますが、概ねイギリス積み。 この様な場面での積み方についてあまり詳しくないので深く考えない方向で。 [マウスオーバーで説明文を非表示にします] |
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所々損傷が見られますが、比較的状態は良好だと思います。 |
そしてそしてこの...! | |
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圧倒的文字数!!! | |
門閘二第井宮
明治四十年十一月十五日改造起工 組合管理 海草郡長 九鬼善一 水利委員長 清水紹 水利委員 久保田甚七 南浩平 工事擔當 海草郡書記 土井原三 田村勝太郎 宮井監守 小谷吉之助 小野田雲平 井口亀之助 組合會議員 土井貞次郎 西本治助 山裾孫兵衛 栗本藤四郎 井邉友吉 桑山茂平治 岩橋喜次郎 中筋麟二郎 清水紹 久保田甚七 西常松 大林吉太郎 鈴木菊松 和田正造 野志俊夫 中村芳之亟 岡重次郎 上野義之助 鎌田卯之助 島田健次郎 中筋義輔 明治四十一年三月二十日工事竣成 改造費金八千四百 餘円 誤字脱字有りの可能性高し |
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怒涛の214文字!!!
数え間違いがなければ... |
...落ち着いて。 まず、お名前から。 門閘二第井宮 (宮井第二閘門[こうもん])さん。 第「二」と言うことは...? これについては後ほど。 |
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東側には 明治四十年十一月十五日改造起工 とあります。 |
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西側には 明治四十一年三月二十日工事竣成 とあります。 |
「提要宮井史」より、この「改造」に関する「工事記概要」を以下に引用します。 | |
工事記概要
宮井用水の中央閘門たる海草郡輪佐村大字布施屋所在の大和街道下に 埋設せる通称宮井二の圦は木造の大樋管なりしが其一代の命数は 約卅年内外に止まり幾回の改造を重ねし所在の樋管も亦将に朽腐に傾きたるを以て 組合管理者の提案に依り明治四十年三月五日宮井普通水利組合會に於て 耐久的改造を行ふことに決議し管理廰主任者之が工事の設計を樹て 水利委員長及水利委員と共に専ら其工事を担掌し明治四十年十一月十五日起工 明治四十一年三月二十日之を竣成せり |
一、改造費の概算 樋管改造費入千四百四十七円卅戔此の内工作費五千九百四十五円九十七戔 操業費二千二百五十四円五十八戔雑費三百四十六円七十五戔 外に樋前及樋㞍の井溝修築の為金三百円を要したり 一、工事の大略 一、旧樋床より三尺余を掘下げ 其地下長十尺末口寸の松杭木を尺間隅に折込み地固をなせり 一、樋床は厚さ二尺五寸のセメント混凝土敷とし 之に煉瓦及花崗岩混交の閘門を構築せり 一、工事材料中煉瓦セメント松杭は吉田義幸花崗岩は大平竹松砂は池田常太郎 砂利は中原市太郎鉄物は小野木榮藏に於て供給を受け負ひ 其他の工作は直営を以て之を施行せり 一、改造閘門の後面に花崗岩彫刻の「宮井第二閘門」と横に大書し 下に工事関係者の氏名を列記したる額面を掲げたり 誤字脱字有りの可能性高し... |
簡潔に(適当に)要約すると、 「宮井用水閘門の要である宮井第二閘門は、 木造であった為、その寿命は30年程度に止まり、 幾度も改造を施す必要があった。 更に、老朽化も進行している。 そこで、耐久性を重視した改造を行うことになった。 明治四十年十一月十五日に工事開始、明治四十一年三月二十日に完成した。」 工事竣工の明治四十一年(1908)から既に百年以上経過し、 かつ今も現役であることを考えると、 当時の方々の閘門(と宮井用水)に対する思いが感じられます。 |
「第二」があれば「第一」があるのはあたり前田のクラッカー。 しかし、現存するかどうかとなればまた別。 「提要宮井史」によれば、 (続けて、"「龍の口樋門」の新設により、「第一閘門」は不要となった。" とありますが、撤去などを行ったとは書かれていません。) |
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お馴染みマピオンで周辺を観察すると、 ここに明らかに怪しい水路表記が。 そんな訳で現場へ直行!!! [マウスオーバーで拡大します] |
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... ...正直なところ、あまり期待はしていませんでしたが、 ここまできれいさっぱりとなると悲しくなります。 煉瓦遺構がまた一つ... |
船戸駅で列車を撮影した後、暗い心持で周辺を探索します。 写真は水路と和歌山線が交差する地点ですが、 残念ながらコンクリの様でますます暗くなるばかり。 |
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船戸西踏切を渡り、更に和歌山線沿いに歩きます。 そこから100mもしない内に、 またも水路と交差すると思われる地点があります。 恐らくは開渠であろうと予想しつつも、確認の為近づいていくと... |
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!?
[マウスオーバーで赤線を表示します] |
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!!??
[マウスオーバーで視点を切り替えます] |
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前情報一切なしの煉瓦アーチに戸惑うばかり... 橋?にしては幅員が狭いように見えますが... |
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右手の、路線の方を見ると、 小倉用水開きょ 設計荷重:KS-12 基礎工:直接 基礎根入:7.22M しゅん工:明治31年4月 とあります。 宮井第二閘門と同じく、この煉瓦アーチは用水関係の構造物である可能性が高そうですね。 [マウスオーバーで拡大します] |
逸る気持ちを抑えつつ、煉瓦アーチの方へ接近すると、 ...何らや水路らしきものが。 [マウスオーバーで水路を着色します] |
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規模は違いますが、安祥寺の水路橋(琵琶湖疏水)が思い出されます。 | |
煉瓦アーチに隣接する謎の建物。 これもやはり水路関係でしょうか。 残念ながら手がかりはありません。 建物すぐ後ろには和歌山線が続いています。 |
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建物の裏手に回ると、水路へ続く階段?が。 これを下ると... |
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思わず見とれてしまいます。 まさかこの様な煉瓦アーチが眠っていようとは... |
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笠石はありますが、 ピラスターや要石など他の装飾は一切見られないシンプルなアーチです。 |
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見た目はあまりきれいとはいえないものの、 内部に大きな損傷は見られず、状態は良い方だと思います。 |
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喫水線の跡から、宮井第二閘門と同様に、 増水する時期があることが伺えます。 |
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船戸駅方から。 夏季は植生によりその姿を捉えることは難しいでしょう。 |
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案の定、扁額などは見当たりません。 | |
詳しく観察してみると、何やら危険な個所がちらほら。 | |
振り返ると、水面に和歌山線の姿。 | |
水路橋の煉瓦でしょうか? しかし、なぜこの様なところに? |
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再び小倉用水開渠。 下部の煉瓦が一部流出している様に見えますが^^; [マウスオーバーで視点を切り替えます] |
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うーん... | |
何処へと続くか薄々分かっていますが、また煉瓦が潜んでいるやもしれぬ、 と思い足を進め |
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るも、すぐに長靴では御免被りたい水深に。 此れより先には煉瓦はないと判断し引き返します。 [マウスオーバーで説明を表示します] |
列車、建物、そして水路橋(分かり難い...)。 | |
車窓からも観察可能ではないか?と思い、早速実践。 布施屋方からは確認が難しく思いましたが、 船戸方からは確認できました。 関連レポートがないのはローカルs(以下略 |
再度橋上へ。 一部笠石が欠落しており、あまり近づきたくありません。 |
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現在、水路橋は手前で堰き止められているため、水が流れることはありません。
[マウスオーバーで説明を非表示にします] |
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住民の方によると、 田植えの時期になると用水の水嵩が増加し、 その水を「謎の建物」で汲み上げ、周辺の田へ分水するようです。 |
さて、この水路橋のお名前ですが、全く分かりません。 そもそもこの「小倉用水」を扱う文献が見つかりませんでした。 「提要宮井史」では一部言及されているものの、名称については不明。 |
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船戸駅近くに、小倉井に関する記念碑があります。[地図] ...が、解決するどころか、謎は深まる一方に... 小倉井洞改築 同事務所新築 同井堰基礎工事 記念碑 発見した物件は明らかに「洞」ではありません。 つまり、又別に「洞」が存在する(或いはした)と、 そう仰るのですね... |
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洞 明治四十五年竣土 事 大正三年五月竣工 堰 昭和八年五月竣工 「洞」が煉瓦だったりしませんよね... |
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記念碑の周辺には写真の様な煉瓦の階段や、 | |
住宅跡と思われる個所にある煉瓦たち(刻印付)も見られますが、 おそらく関連は無いでしょう。 [マウスオーバーで刻印を表示します] |
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これも刻印? |
小倉井水路橋(仮)の正式名称は分からず終いでしたが、 宮井第二閘門と同じく、地域の人々の生活にとって 欠かせないものであることには違いないでしょう。 その姿、何時までも残していただきたいものです。 |
田植えの時期の休日に小倉井水路橋(仮)を訪れたところ... | |
きちんと水路しています!! ...しかし余りにも勢いがあり過ぎて近付き難いです。 |
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この量に対し長靴は余りに無謀ですね...
[マウスオーバーで初回訪問時の写真を表示します] |
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やはり煉瓦と緑の組み合わせは素敵です。 | |
よく見るとアーチ内部から水が漏れています。 | |
此方側からは一切確認することが出来ません。 |