Home > 廃レポ > 和歌山県道45号那智勝浦本宮線 車両通行不能区間
![]() 県道44号那智勝浦熊野川線起点 ×行き止まり 熊野川方面→ (2019年2月2日撮影) |
この県道を含む、
その険道兄弟の走行レポートや動画で、この分岐がときたま登場します。 場所は、那智勝浦町大字樫原字小麦。 和歌山県道44号那智勝浦熊野川線は、ここを始点とし、右方向へと続いています。 海側(那智勝浦町八尺鏡野)から北上してきた和歌山県道45号那智勝浦本宮線は、 左方向へ続いているはずですが、「行き止まり」になっています。 |
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![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
地形図で確認すると、看板から先、軽車道となった県道45号那智勝浦本宮線は、市町村境で消え失せます。 分断県道のようです。 [マウスオーバーで県道45号線を赤線で表示します。] |
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![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
分断後、徒歩道となって復活しますが、県道45号那智勝浦本宮線らしき道は、 和歌山県道229号古座川熊野川線を越えてもなお徒歩道のままで、 高瀬峠を経て、本宮町皆瀬川でやっと車道が復活し、終点の本宮町請川に至ります。 |
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![]() 和歌山県の道路(パンフレット:令和元年6月)より引用。 |
「和歌山県の道路」という資料をみてみますと、県道45号線は、県道44号線との分岐からしばらく続きますが、しばらくすると不通扱いとなり、 県道229号線と合流後、ホイホイ坂林道の続きを描くよう和田川右岸を進み、県道229号線と再度合流、 高瀬峠を越えて本宮町皆瀬川に至り、復活しています。 地形図上、徒歩道となっている箇所は、県道45号線の未開通区間とみてよさそうです。 ちなみに、和歌山県東牟婁振興局新宮建設部令和6年度管内概況によると、 実延長は41,474m、2車線改良(5.5m以上)延長は12,073m、1車線改良(4.0m以上)延長は21,355mで、改良率はそれぞれ29.1%と51.5%となっています。 この延長は、不通区間を除いているでしょうから、県道45号線がいかに険しい道であるかがよくわかります。 [マウスオーバーで県道45号線?を赤線で表示します。] |
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![]() 地理院地図(電子国土Web)に説明追加。 | 県道44号線との分岐から先の県道45号線に関する過去のレポートを見てみますと、 車道表記が途切れる箇所まで到達したとの報告はほとんど確認できませんでした。 唯一、熊野川町北ノ川を訪問した『村影弥太郎の集落紀行』さまの記事では、 「那智勝浦側より県道45号を利用し上流側(モチノキ)を訪問」とあります。 現在の地形図では市町村境で途切れているものの、道は続いているようです。
また、県道229号線側から南進する場合も、集落跡より先へのレポートはほぼない中、 先述の『村影弥太郎の集落紀行』さまでは、 県道229号線側から小原川橋を渡り、中平、そして梅木平を訪問しています。 ただ、そこから先「直進する道は橋が落ちており、また上方へ分岐する道でも路面が崩れており通行できず。」とあるのが不穏ですが…。 ※吊り橋(小原川橋)や集落跡については、 『穴と橋とあれやらこれやら』さま『中平のワケあり吊り橋【前篇】(和歌山県新宮市熊野川町畝畑)』、 『みちと標識の写真館』さま主要地方道 那智勝浦本宮線 にレポートあり。 |
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和歌山県道45号那智勝浦本宮線の不通(であろう)区間を踏破するに当たり、 まず、県道44号線との分岐(那智勝浦町)から北上、県道229号線との合流(新宮市熊野川町)をゴールとするプランを実行することとしました。 ただ、ゴールである合流地点の小原川橋は無事かどうか…と確かめにきました。 (以下2023年5月撮影) |
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徒歩道の幅員ながらも、石垣が続いています。 |
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その先、通行禁止の文句で飾り付けられた小原川橋が現れました。 対岸の石垣たちが気になるところですが、 |
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後ろを振り返ると、しばうるふ氏の遺構発見レーダーにより捕捉されたレールらしきものが…。 |
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重量制限 危険につき全 重量250kg以上 の通行を禁ずる 和歌山県 |
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架橋された当時でさえ、250kg近い重量の車両なりの通行はなかったと思われる橋梁と接続路です。 |
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クイック氏による2018年レポートよりも、さらに老朽化が進行しているようです。 |
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通行は道路管理者である和歌山県により禁止されていますので、渡橋はやめようね。 |
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対岸には、堅牢な石垣と石階段が続いています。 『村影弥太郎の集落紀行』さまのレポートによると、ここが「中平」で、 農地や屋敷跡のほか、寺院跡や石仏群もあるそうです。 |
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石階段に導かれ、道なりに進むと… |
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左 北ノ川色川を経て勝浦に至る 右 小原.奥平方面行山道 |
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昭和四十七年十月 |
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樫原迄約十キロ米 地理院地図に徒歩道ながらも表記があり、この中平集落跡の石階段を見ても確かな道筋があることから、 10kmあろうとも何とか踏破できる…!と判断しました。 |
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無事、この標に辿り着くことができるでしょうか…。 |
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幾度となくみた、県道44号線との分岐です。 (以下2024年12月撮影) |
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カーブミラーには「和歌山県」とあり、ここが県道であるという数少ない証左です。 |
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序盤はアスファルト舗装+縁石があります。 (2019年2月撮影) |
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縁石の下には石垣が見えます。 (2025年3月撮影) |
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この辺りは、44号線との分岐手前の現道の同じ程度か、もしかしたらまだ走りやすい区間です。 (2019年2月撮影) |
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チェーンで封鎖されていますが、分岐があります。 地図を見ると、3度の渡河を経て、「延命寺」(続紀伊風土記)らしき寺院を経て、狩場刑部左衛門を祭る王子権現社に至る道のようです。 なお寺院は、1974年~1978年の空中写真では現存が確認できますが、以降の空中写真(例:2017年)では現存しないように見えます。 (2019年2月撮影) |
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ちなみに、狩場刑部左衛門を祭る王子権現社はこのようなところです。 (2019年2月撮影) |
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狩場刑部左衛門記念碑 (2019年2月撮影) |
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右の石段を登る→ 狩場刑部左衛門記念碑 本名.上総五郎兵ェ盛清 1420年ころ.この地方を莣らし廻っていた「一つたたら」 という盗賊を退治した功により.熊野三山より多大の 報償金をもらい.那智山からは寺山三千町歩を共に 利用できる山にしてもらった。 刑部左ェ門はそれを自分だけのものとせず村民に分け与えたので その功績をたたえて王子社として祀られた。祭日11月1日 (2019年2月撮影) |
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狩場刑部左衛門宮跡 (かりばぎょうぶざえもんのみや) 「紀伊続風土記」に「いつの時代のことかはわからないが、ひとつだたらと呼ばれる盗賊が山中に棲み、時折山より 出ては那智山の神宝を盗むなど神社に被害を与えることが度々あった。那智山の衆徒らはこれを捕らえることが出 来ず、当時色川の樫原にいた狩場刑部左衛門という勇猛な男に頼んでこれを討伐することに成功し、その恩賞として 寺山を立会山とすることになった。」という伝説が記されている。 これによると、狩場刑部左衛門は那智山より与えられた寺山を私のものとせず、色川郷十八ヶ村(小匠、中野川、 田垣内、大野、口色川、平野、檜曾原、小阪、熊瀬川、樫原、直柱、坂足、高野、楠、樫山、赤木、田川、小森川)に譲渡し、 以後その山林の恵みは郷の助けとなったとある。 その後、寺山は明治八年(1875年)、政府により強制的に官有地とされるも、返還を請願し続け、ついに裁判となり、 大正四年(1915年)には勝訴、大正七年(1918年)に記念碑を建てるに至り、遺徳顕彰会を発足した。 没後、郷民が、小字狩場野の狩場刑部左衛門屋敷方(現地より約1km、現在は山中)に氏神として祀り、神事を行ってい たが、明治四十三年(1910年)色川神社に合祀。その後は小字字栃谷(現地より新宮方面に約3km)に祀られる。 令和五年 色川を語り継ぐ会 |
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山手に何かが生えています。 (2025年3月撮影) |
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24 これはまきのじ氏の投稿にあったキロポストに違いありません! Googleマップ計測だと、ここは起点(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町八尺鏡野)から26.8km地点、 地理院地図計測で、終点(和歌山県田辺市本宮町請川)から約24km地点でした。 ここに来るまで、同様のキロポストは(見逃している可能性も高いものの)見かけませんでした。 当時和歌山県内で使用されていたものが、今も撤去されずに残っている…のかもしれません。 (2025年3月撮影) |
![]() 国土地理院地図より |
キロポスト「24」は、チェーンゲートとの分岐からすぐのところです。 |
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ダートであろうと、邁進する!!!! |
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一度目の明かり区間です。 過去のレポートを見ると相当荒れていたようですが、 現在(2019年)は落石防止ネットが設置され、ある程度は管理されているようです。 (2019年2月撮影) |
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二度目の明かり区間です。 この直前でダートになってしまいましたが、フラットな路面が続きます。 車で乗り越えられる程度に法面が崩壊している箇所がいくつかあります。 (2019年2月撮影) |
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ここ、2つ目の明り区間から深山幽谷へと至る関所たる区間です。 崩壊した路肩をH形鋼らしきもので補強している箇所の手前にある深い轍にはまってしまい、空転して車では進めません。 2019年当時は突破できましたが、年々奥地へ至る困難は増えつつあります。 |
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2019年当時の(自分としての)車両進入限界です。 ここが何とか方向転換できる最後の箇所で、以降は路面の状況や幅員があやしくなります。 (2019年2月撮影) |
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こう見ると車でも進めそうですが、 路肩の崩落もあり、進入はたいへん危険です。 (2019年2月撮影) |
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日陰では凍ったまま解けずに残る区間が目立ちます。 |
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写真中央に石垣が見えるとおり、古くから利用されてきたことが窺えます。 |
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「水源の森」看板&分岐に到着しました。 以前のGoogleマップにはいくつかのレビューがありましたが、削除されています。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
ちょうど道が分岐するところです。 |
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天皇陛下御在位 **年記念 水源の森 公団分収造林地 ※『県道グランツーリスモ』さまのレポートを見ると、「天皇陛下御在位60年記念」だったようです。 (2019年2月撮影) |
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昭和62年3月23日 実施 造林地所有者 西 弥太郎 造林者 那智勝浦町 造林費負担者 森林開発公団 (2019年2月撮影) |
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「水源の森」看板は、2023年現在朽ち落ちてしまっています。 |
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2019年当時はまた水源の森看板は健在で、「一般車両通行禁止」看板や分岐路も草木に埋もれていませんでした。 (2019年2月撮影) |
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穏やかに高度を下げようとする正面の道が線形を考えると正しそうですが、 県道は急に高度を上げようとする右の道です。 |
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砂利道が続くものの、その幅員は車両が通行できる程度です。 行き止まりと予告される区間にしては、比較的整備されているように思います。 |
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廃車体が現れました。 フェンダーミラー時代のダイハツのミラのようです。 |
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明かり区間では法面の崩壊もあったため、奥に進むにつれ相当に荒れていると予想していましたが、 なかなかに快適な道が続きます。 廃車体手前で勾配は下りに転じ、軽やかな歩みで先を急ぎます。 |
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この辺りは路肩が崩れ気味です。 |
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四輪でチャレンジする猛者たる諸兄におかれましては、注意すべき区間です。 |
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再び路面路盤が安定してきたところで… |
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道が死んでいる!!! 車も死んでいる!!! |
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2020年の国土地理院空中写真でも、車両が確認できます。 2013年の空中写真でも、それらしきものが見えます。 |
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ほかにも廃車体があります。計3台がここで余生を過ごしています。 |
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この大規模な路盤消失区間、素直に車まで降り、向こうまで登り詰めてもよいですが…。 |
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車道改修以前はこの道だったとばかりに、谷の上流側に道筋が見えるため、苦労することなく突破できました。 |
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路盤消失区間突破後、来た道を振り返っています。 車体の近くにコンクリートヒューム管らしきものが転がっており、 大規模な出水が襲ったものと思われます。 GPSを確認すると、ここから分岐する道があるようですが、現地では確認できませんでした。 |
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路面は再び安定し、先ほどまでの快適路(徒歩視点)に戻ります。 写真でも分かるように、勾配がここからまた上がりはじめました。 |
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水源の森看板(0.7km地点)から標高を稼ぎ、峠(1.0km地点)を越えて路盤消失区間with廃車体(1.7km地点)まで下ってきましたが、 ここでまた登りに転じました。 |
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急勾配な路面を無理矢理登ってきたものの(上記表の2.2km地点)、 谷沿いをさらに進む道筋は見えず、ここで谷を渡っても彼岸に道筋は見えません。 |
![]() 国土地理院地図に、GPS軌跡データを統合 |
GPSを確認すると、少し手前で谷を渡っています。 ※わちゃわちゃしているのが、谷沿いに道はないか、対岸に道はないかとしている軌跡です。 |
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少し戻り、暗渠管が横たわるこの箇所であれば、容易に対岸に移動できそうです。 |
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GPSで確認する地図には、もう少し南に道はあるようですが、測位ズレと判断しました。 橋台らしき石垣も見えます。 |
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対岸の道筋も確かだということで、ここで渡り、先へと急ぎます。 |
![]() Yahoo!マップより |
帰宅後Yahoo!マップで確認すると、地理院地図ほど回り込まず、東に寄ってカーブする線形を描いています。 |
![]() | ちょっとあやしくなってきました。 |
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橋梁があったのか暗渠菅があったのか不明ですが、双方すでに見えず、 さらに行く手の法面は崩れ気味です。 |
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渡って振り帰ると、コンクリートヒューム管がありました。 ここも出水で路盤が削られてしまったようです。 |
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実際にその場に立ってみると、何とか道幅を保った崩れ方をしています。 |
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…と思っていたら、路面は法面崩壊に飲み込まれてしまいました。 |
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法面崩壊区間を渡っていると、対岸に先程まで歩いていた区間が見えます。 写真でも明らかに勾配を上げる道筋が確認できます。 |
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道筋が二手に別れています。 左が本来の路面ですが、落石が多く、先が見通せません。 かと言って右手の高巻きルートも崩れた斜面に一筋の道が見えるかどうか…。 ここではお作法に則り、右ルートを進みます。 |
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踏み跡は見た目以上にしっかりしており、確実に一歩一歩進んでいけます。 左ルートでは、本来の路面が少し顔を出し、直角にカーブしています。 |
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路面は完全に消え去り、崩れた法面を進み続けます。 |
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2013年の空中写真でも、この崩落が確認できました。 少なくとも10年以上、おそらく20年近くこの状態ではないでしょうか。 |
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ただ、踏み跡は続いており、苦労なく突破できました。 |
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大崩落区間を乗り越えると、本区間最大幅員が現れました。 小麦以北の那智勝浦本宮線標準幅員の2倍はありそうです。 |
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…と言う超高規格道路はすぐに終わり、 標準幅員で路肩が危うげな景色が続きます。 |
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振り返ると、相変わらずの勾配と、瓦礫が積もったり崩れたりした路面。 |
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この辺りは、THE美しき |
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車道区間終了… |
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この岩崖の向こうが熊野川町のはずです。 |
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![]() 国土地理院地図より |
地図上はここで道が途切れています。 |
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車道の続きはないかと奥を覗き込みますが… 作業道はおろか、人の手が入った気配もありません。 |
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少し右手に目をやると、ピンクテープと徒歩道がありました。 ここが県道か、もしくは県道だったか分かりませんが、とりあえず登ることはできそうです。 |
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分かりにくいですがここで折り返し(一敗)。 |
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右手に見えるように、そこそこ標高を稼いできました。 あと少しだろうとプチ藪を抜けると… |
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下りに転じました。 古道か県道か杣道か分かりませんが、平場があります。 |
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車道規格ではないものの、徒歩道として問題なく進めそう! |
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…なんて思っていると、道が消えました。 ゆるやかな斜面がはるか遠くまで続いています。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
この谷をひたすら下っていくと、徒歩道表記が復活する地点に辿り着けそうです。 |
![]() Yahoo!マップより |
帰宅後Yahoo!マップで確認すると、ジグザグと下る線形がありました。 |
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とりあえず、段差がある植林地帯を避け、端の斜面を進みます。 |
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九十九折のお手本のような道が続きます。 植林に当たって造成したのか、古道の頃からこんな道なのか…。 横たわる木は、段差の縁に置かれ、雨水による崩れや、落石を防いでいます。 目の前にそれが少なくとも10近く見えますので、その数だけ行ったり来たりを繰返すことに。 時にはショートカットも混じえ、高度を下げていきます。 |
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植林地帯を抜けると涸沢となり… |
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道、復活!! |
![]() 国土地理院地図を加工 |
地図上より手前で道が現われました。 |
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しばらく進むと、右岸の道の様子が怪しくなると同時に、 対岸にも道筋が… |
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こう見ると明らかに本線は左岸のようで、橋梁が手前にあったかもしれません。 地図上はまだまだ右岸をいくようですが、レッツ渡河! |
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現代の車の通行は無理ということから目を背ければ、 この幅員と石垣は主要地方道として胸を張れる規格です。 |
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右岸に目をやると、道らしきものは一切ありません。 地図上では向こうに道があるはずですが…。 |
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県道たる堂々とした石垣です。 |
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20 これは、スタート直後に発見した「24」キロポストの続きでしょう。 やはり本宮町請川からの距離のようです。 車道の幅員すらないダート道にあるキロポスト…素敵です。 なお、このレポート執筆時点で発見できたキロポストは「20」「24」の2つだけです。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
場所でいうとこのあたりです。 |
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足元を見ると、堅牢な石垣が続いています。 何という快適路…! |
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行く先を見ると、90度のカーブから、崩れ気味の路盤、そして石垣… |
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!!!!! |
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素晴しき石垣橋台…!!! |
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…と炭焼き窯らしき石垣 (左の石垣が橋台、右の石垣が窯跡です。) |
![]() 国土地理院地図を加工 |
地図上ではこの辺りです。 測位ズレもあるでしょうが、地図で描かれているとおりの和田川右岸に戻ったかたちになります。 |
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さすがに木の桁はないものの、谷積みの石垣がほぼ完全に残っています。 |
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車道区間が終わり、徒歩道となった区間において、この堅牢さは惚れ惚れします。 |
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川に降り立ってみました。 右岸の重厚さに比べ、左岸は削られ気味です。 |
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そして気になるのがこのトラロープ。 このロープをつたい降りろとのことなのでしょうか。 対岸にもこの木&ロープの組み合わせはありました。 (↑2つ上の写真、右手に写り込んでいます。) |
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路面への復帰は、石垣が途切れる、スロープ状の斜面から。 なお、和田川はここで滝となっており、見た目の割に危ない区間です。 |
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路面へ復帰し、思わぬ収穫にホクホクで進むと… |
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……… 崩れ去った路盤、高巻きはできない切り立った山手、 滝壷が広がりエスケープできない川手… しかし、道に目をやると、蓮池へと続く蜘蛛の糸にように垂れ下がるロープが見えます。 |
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足を滑らせようものなら、無傷では済まなさそうです。 |
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要所にトラロープが架けられており、軽く引っぱり確認すると、まだ生きています。 このロープは、この道は、生きていると奮起し足を前へ進めます。 |
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見た目はミネラル類を求め崖をゆくヤギのようですが、続く斜面も安定しており、 滑り落ちることはありませんでした。 |
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ここは高巻き気味に進むと安定します。 本来の路面は写真左手下部の凹んでいる箇所です。 |
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振り返ると見事な滝、そして先程の石積み橋台が見えます。 何と贅沢な景色でしょうか。 |
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この辺りまで来ると和田川との距離も縮まり、恐怖心はなくなります。 |
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さすがにこの木橋は、県道由来ではなさそうです。 |
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道はあるけども、幅員は狭い…という区間が続きます。 |
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再び、和田川が滝となりました。 右岸には道がなさそうですので、渡河します。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
地図上でも同様に渡河しています。 橋梁があったような痕跡は見られませんでした。 |
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左岸から和田川を見下ろしています。 分かりにくいですが、この先で落ち込み、滝になっています。 |
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淵となりぬる和田川は、紀伊半島奥地ならではの透明度です。 |
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写真右手奥から涸沢が合流しています。 |
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和田川沿い本流は…明確な道が見当たりません。 左岸に大規模な路盤消失か、桟橋があった箇所を挟んで、道らしきものはありそう…。 ただ、その先もあやしそうなので、ここで川へ降りることにしました。 |
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水量は少なく、支障となるような岩石もないため、河床を進みます。 |
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所々に、炭焼き窯が残っています。 |
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道らしき平場が、河床に近い高さにあります。 先程別れた?路面がいつの間にか下ってきたようです。 |
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和田川沿いをひらすら進みます。 |
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これも炭焼き窯でしょうか。 |
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道関連の石垣がなかなかないと思っていると… |
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石垣に囲まれた、プチ切り通しです。 |
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ビンに入った水がお供えされています。 |
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この木が周りよりも樹齢が長いとか、変わったかたちをしているから、ではなく、 ただそこにあるからお祀りする…という感じがしてすてきです。 |
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石垣と、ほとんど涸れている和田川と、なだらかに崩れる斜面と… |
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このあたりは倒木流木が多いです。 苔生したり濡れていたりし、変に足を掛けると滑ってしまいます。 |
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渇いた河床の方が歩きやすい区間が続きます。 |
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小屋跡があります。 最低限の生活ができる程度の規模があります。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
小屋跡の場所はこのあたりです。 |
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やかんや羽釜が転がっています。 北ノ川が無住となった後、林業従事者が使用していた作業小屋でしょうか。 |
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和田川は、写真左手手前から、右手奥へのカーブしており、 道はそのカーブの内側を通っています。 地図上では、和田川左岸にあるはずの道ですが、 実際はこのように行ったり来たりを繰り返しています。 |
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この辺りは和田川左岸に確かな道筋が続いています。 |
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路肩の石垣と…写真奥に見える炭焼き窯跡らしき石垣。 |
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駅のプラットホームのように並ぶ石垣。 |
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気付くといつの間にか和田川との距離が開き始めました。 |
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路面は安定していますが、河床へとエスケープが難しい距離感です。 |
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さっそく路面が消え去っていますが、この傾斜であれば大丈夫そうです。 |
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崩壊区間を乗り越えると、幅員が不安定ながらも道が復活しました。 |
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足元を見ると、路肩は石垣で固められており、快適路が続きます。 |
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道は徐々に下りに転じ、河床との距離が縮まっていきます。 いざとなればエスケープだと考えていると… |
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道が途切れてしまいました。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
地図上ではこの辺りです。 |
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地図では、合流する支流沿いに進んだ後、渡河していますが、
現地ではそのような道は対岸を含め見当たりませんでした。 もしかしたら、高い位置にもう一本の道があるのかもしれません。 |
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振り返ると先ほど下ってきた石階段。 |
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河床に降りて、分断箇所を見上げています。 石積みの橋台といった構造物はなさそうです。 |
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対岸は取り付く島が無さそうに見え、足掛かりとなる岩のほか、 結び目も完備のロープもありました。 少しばかりサポートしてもらい、登っていきます。 |
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残置ロープの近くには、小規模ながら石垣があります。 ただ、この延長の橋梁を架けるには足りないため、 ほとんどが消失しているようです。 |
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対岸によじ登ってからの振り返りです。 橋が架かっていたとした思えない分断ぶりです。 |
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先に進むと、地形図にはない分岐が現れました。 ここは石垣が続く左側を進みます。 |
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左側の登り勾配に入ってすぐ、 左 北長造林小屋 右 畝畑小口…熊野川…至… 四面のうち二面のみ確認して残りを忘れるという痛恨のミスをやらかしましたが、 形状からして、中平集落跡にあった道標と同じ「昭和四十七年十月」と思われます。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
地図上ではこの辺りです。 |
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路面は安定していますが、道路というよりは林業の作業道として整備されているようです。 |
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屋敷か農地跡らしき石垣が、あちらこちらにあります。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの『北ノ川(熊野川町)』にある『モチノキ』集落跡ではなかと思います。 レポートによると、北ノ川集落では最大の宅地数(4軒)だったようで、ここが中心地だったのかもしれません。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
地形図だとこの辺りです。 |
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ここも道に面した屋敷跡?でしょうか。 |
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またもや分岐が現れました。 先ほどと同様、石垣が続いている方でと考え、右側を進みました。 |
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農地跡か植林の際に整備したのか、段差があり、 一見道が消失したようですが、進めてしまいます。 |
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進めるか進めないか、微妙な地形になりました。 |
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プチ崩落を越えた先に、道が続いているような、ないような… |
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振り返ると、道筋が見えません。 果たしてここが本来の道かどうか、あやしくなります。 |
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哨戒してもらいますが、この先も対岸も違いそうです。 |
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正解は、先程の分岐を左でした。 |
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左 色川を経て…至… 樫原迄約八…米 |
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右 北長造林小屋… この石階段は、先ほど見えていたモチノキの屋敷や農地跡に続くものと思われます。 林業で使用するためだけに、このような石階段を整備したとも考えにくいので、 集落の生活道としてあったものを、林業用にも使用し、屋敷や農地があった場所に作業小屋を建設した…とかでしょうか。 |
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林業用作業小屋があるなら、これ以降は安定しているはず! |
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… まだ傾斜がゆるやかなので、進むことができます。 |
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この辺りはえらく開放的です。 と言っても、畝畑まではエスケープルートもないので、気合を入れて進みます。 |
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木原 と書かれた境界標があります。 那智勝浦町に事業所もある木原造林株式会社かと思われます。 |
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和田川と別れてどれほどか、まだまだ高度を上げ続けます。 |
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切り通しです。 ここでぐるりと進行方向を変えます。 |
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支流の谷沿いをぐるりと回り込むことになりそうですが、 路面の状況は悪く、嫌な予感がします。 |
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この辺りはまだ道らしきものがありますが… |
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道があったのか、ただの斜面に迷い込んでしまったか、判断できません。 |
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道筋が復活したと思っても、崩落が目立ち、全く安定しません。 |
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涸れている和田川支流が見えてきました。 行く手には3パターンほど道が見えますが、進むべきはどこか… そもそも、本来の道はもっと山手にあるのか… 元から日の光が入らない谷沿いで、日没も迫る中、とりあえず前に進むしかありません。 |
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…万事休す。これは本当によくない状況です。 見た目は何ということはない、なだらかな地形ですが、ここぞいう場所に手掛かりも少なく、土質も柔らかで、 この先、真っ直ぐ進むことも、山手へエスケープすることもできなくなりました。 河床に降りても、対岸の切り立った岩肌をよじ登ることもできそうになく、 今来た道を戻っていては、確実に日没を迎えます。 |
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谷を回り込む道だから、対岸に道があるはずだと目をやると… 平場と石垣が…!!! |
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もうこの道の完全走破は諦めて、対岸にエスケープするしかありません。 河床に降りたとして、どこから登ることができるか、と下流方面を見ますが、こちらは無理そうです。 |
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上流を見ると、何とか登れそうな斜面を見つけ早速向かいます。 |
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上り詰めて、進行方向を見ると…石垣! |
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本来辿るはずだった南側を見ると…こちらにも石垣! 小さな橋梁があったか、石垣が続いていたところが流されてしまったように見えます。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
測位ズレはあるでしょうし、実際に地形図通りに道があると分かりませんが、 約200m近く見逃したことになります。 しかし日没が迫る中、これ以上は無理と判断し、前進します。 |
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路面への落石が多いものの、路肩が石垣で固められた道は、対岸とは大違いで天国かのようです。 |
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法面の崩落や、石垣がない箇所の路肩破損がありますが、ここが道と分かる分、まだまだ良い方です。 |
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恐しく狭い路面…路肩に丸太がありますが、信用なりません。 |
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これくらいの落石、これくらいの幅員が続けば良いのですが…。 |
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左 色川を経て勝浦… またもや道標が現れました。 今までと同様のフォーマットです。 |
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右 木原造林小屋 昭和四十七年十月 |
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切り通しです。 これで谷沿い迂回区間を越えたはずです。 |
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錆び付いてほとんど読めませんが、 保安林について書かれているようです。 |
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快適路、 --------再開------- |
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--------終了------- ただ、道筋は確かです。 |
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この丸太橋はまだ生きており、そう遠くない昔に林業事業者により整備されたはず。 明らかな人の手、気配を感じ、畝畑までは安定した道が続くのでは…と考えます。 |
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道はほぼ消失していますが、それをサポートするように、手掛かりとなるネットやロープがあります。 |
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ここは路盤が完全に流出しており、ロープのサポートなしでは恐いところです。 |
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丸太橋は落下しないようロープで繋がれています。 |
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ここも要所にロープが架けられています。 |
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ルートを試行錯誤した形跡があります。 どうがんばっても足を滑らせそうな急な岩肌を手前で越えるか、後から越えるか… |
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倒木ゲート付き切り通しです。 |
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ゴールに向けて高度を下げています。 快適路、 --------再開------- |
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--------終了------- |
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ここもロープが架けられています。 見た目以上に不安定な足場で、ロープのサポートを受け越えていきます。 日没直前で、何とか行動できていますが、これ以上の難所があると相当厳しい状況です。 |
![]() Yahoo!マップより |
帰宅後、Yahoo!マップで確認すると、四苦八苦した谷沿い区間のさらに手前に分岐があったらしく、 途中には橋梁もあるようです。 現地では全く気が付きませんでした。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの「直進する道は橋が落ちており、また上方へ分岐する道でも路面が崩れており通行できず。」はこの分岐の北側のことでしょうか。 地理院地図を信じるならば、県道ではないようですが… |
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水源林をつくる公団造林 北ノ川造林地 契約面積 8.68ヘクタール 契約期間 昭和62年度から50年間 造林地所有者 榎本長平 造林者 熊野川町森林組合 今までは道標の昭和47年が、通行があったであろう最終年でしたが、 造林事業のため、昭和62年前後にも人の出入りはあったようです。 ちなみに、昭和62年度から50年後は1987+50=2037年です。 2037年に向け、またこの道が整備されることがある!…のかもしれません。 |
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日もほとんど落ちてしまい、高い木々に囲まれた道まで届く光はもうありません。 向かって右手に、石垣に囲まれた屋敷跡?が見えました。 現地では、梅木平集落かと思いましたが、 『村影弥太郎の集落紀行』さまの『北ノ川(熊野川町)』にある、「寺院跡」(永詠寺)のようです。 2013年2月には残っていた小屋が、2024年には崩壊しています。 この小屋が、もしかしたら道標にあった「木原造林小屋」なのかもしれません。 梅木平集落を見逃がしたことになりますが、「保安林」看板以降、脇目も振らず歩いてきたので仕方なし… |
![]() 国土地理院地図を加工 |
場所はたぶんこの辺りです。 |
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切り通しです。 |
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切り通しを越え、道筋に沿って歩きます。 |
![]() 国土地理院地図を加工 |
が、GPSを確認すると、辿るべき道から外れてしまっているようで、 切り通しまで戻りました。 |
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左手の道が、一度進んで戻ってきた道です。 よく見ると、下っていく道筋がありそうです。 |
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…それから20分近く、真っ暗な中、小さなLEDライトの明かりのみで、GPS上の道の辺りを探しますが、 道どころか集落跡もなく、ただの斜面しかありません。 小原川橋まで50m程度のはずなのに、辿り着けない… |
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ここで、かつて小原川橋と中平集落を確認した際のログを見ると、 地形図にある道表記よりも西側に軌跡があります。 そう言えば、GPSだけを頼って小原橋を探したとき、なかなか見つからなかった記憶が… 過去の軌跡を頼りに暗闇を進むと… |
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!!!! |
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小原川橋!!! |
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無事帰還しました…。 |
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徒歩走行距離は、約11.6km、 徒歩走行時間は、約6時間40分、 標高の最高地点は那智勝浦町と熊野川町の境で約540m、 最小地点は(橋直前で道を見失った際の記録を除き)ゴール地点の約246mでした。 勾配がきついものの、路面が安定している那智勝浦町側の車道区間、 序盤は河床も歩くことができ、路面も比較的安定しているものの、 谷沿い区間を境にさながらアスレチックコースと化す熊野川町側の徒歩道区間…と変化に富んだ道路でした。 |
執筆中… |