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大塔森林鉄道のインクライン跡と大塔支線

大塔森林鉄道は紀伊半島の山奥、和歌山県田辺市本宮町静川地区にあった森林鉄道です。
その歴史は古くそして長く、明治43年(1910年)に開設(当時は木馬道?)され、
昭和34年(1959年)に廃止されるまで、半世紀近くにわたり活躍しました。
ほとんどの区間は車道転用され、大半が「大塔前の川林道(田辺市道大塔線)」(以降大塔林道と表記)(※)として現役であるため、
比較的訪問しやすい森林鉄道跡として知られています。

※よく「林道安川大塔川線」と紹介されていますが、同林道は大杉隧道寄り区間であり、軌道跡ではありません。
県道241号静川請川線と林道安川大塔川線の間については、「田辺市道大塔線」(田辺市資料)、「田辺市林道大塔川線」「大塔前の川林道(大塔林道)(併)」(林野庁資料)、「大塔川林道」(森林開発公団資料)と表記が様々あるようですが、
このレポートでは「大塔林道」とします。


遺構の一例は…


3号トンネルを抜けた先、谷を渡る小橋に残る橋脚

そこから川へ降りると、瓦礫から顔を出す大量のレールが!

3号トンネルと4号トンネルの間にある、
七溝(ななみぞ)橋の山手に残る橋梁跡
このさらに山手には謎の穴も…

4号トンネルと軌道跡

5号トンネル。
橋梁と素掘りトンネルがストレートに見える、絵になる区間

軌道跡はトンネル手前から川側に入り、切り通しを経てトンネル出口へ。

かつての惨事についての説明板

(森林鉄道の惨事)当地方の最高峰大塔山(1230M)をめざして
昭和27年7月21日午前7時宿舎の静川公民館を出発した
古座町西向中学校の教官4名と3年生33名は元気なリュック姿
で山麓の土場から営林署の5両のトロッコ連結した森林鉄道に
便乗して目的地に向かっていたが午前10時40分同国有林の
八丁川原に差しかかった際、軌道の上り勾配十度のうえ積載した
セメントと乗員の重みで機関車がスリップを始め逆走しトロッコ
が8M下の谷に転落振り落とされた男子生徒1名女子生徒3名
が死亡重傷者8名、軽傷者12名と云う大惨事となった。
今でも遭難現場に祭られた地蔵さんに時折花がささげられて
いる。 1998年3月設置


このように素掘りのトンネルや橋梁が数多く残る大塔森林鉄道ですが、
その軌道がどこまで続いていたのか、そもそもどこから敷設されていたのかとなると、
インターネット上にはあまり情報がないようです。

大塔林道を進むと、弘法杉林道、中小屋林道に分岐する広場があり、初訪問時はここが終点だと考えました。
というのも、この先で大塔川を渡りますが、以降の林道の線形や勾配から軌道跡とは思えないためです。

林道分岐の広場

建物跡や石垣もあり、終点のように見えますが…

また、この大塔森林鉄道には昭和28年(1953年)開設昭和34年(1959年)廃止の「大塔支線」という支線が黒蔵谷(くろぞうだに)沿いにあり、
隧道が2本ある…とよく紹介されています。
情報の初出は、くるまみちさまの「大塔林鉄大塔支線隧道」かと思われます。
ただ、レポート中でも触れられているように、文献とは延長が異なることから、あくまで仮として扱われています。


今回は、
大塔森林鉄道の始点及び終点がどこにあるか。
実際の大塔支線はどこにあるのか。
を文献で確認した後、現地調査を行いました。

以上導入の7枚の写真は2019年1月撮影

文献確認
まず大塔森林鉄道本線の始点と終点について、
林野庁の「森林鉄道」特設ページにある、
『国有林森林鉄道路線別概況』を確認すると…
大塔川中流宮瀬の広瀬貯木場を起点に、大塔川沿いを16林班まで遡上。
とあります。

(明治44年測図昭和8年要部修正測図『栗栖川』より引用)
「宮瀬」は現行の地形図には掲載されていないため、
旧版地形図を確認すると、
ちょうど現在の高倉神社のあたりに「宮ノ瀬」とあります。
ただ、「広瀬」の表記はありません。

なお、林道ではない本来の「ホイホイ坂」が掲載されておりますが、
この道は現行の地形図でも確認できます。

(伊藤誠一『林鉄の軌跡 : 大阪営林局管内の森林鉄道と機関車調査報告書』(1996年、ないねん出版)より引用)
続いて、伊藤誠一氏の『林鉄の軌跡』を見てみると…
始点である「広瀬土場」の位置から、終点広場、さらに「支線」の文字も…
始点は「広瀬土場」であり、現在「熊野川漁業監視員詰所」がある広場であることが分かりました。

(近畿中国森林管理局『熊野川広域流域森林計画区紀南森林計画区国有林野施業実施計画図(紀南7-5)』より引用)
終点は、弘法杉(樹齢450年)の少し先であるようです。
『国有林森林鉄道路線別概況』で本線の終点としている「16林班」付近は、
現在の施業実施計画図で言うと「116林班」に当たると考えられますが、
範囲が広く特定できません。

弘法杉については、近畿中国森林管理局のページにまとめられています。

(地理院地図 作図サービスで作成)
『林鉄の軌跡』では、弘法杉までが本線(9キロレール)で、以降は支線(6キロレール)であり、ほかに分岐する支線はなかったとあります。
再度『国有林森林鉄道路線別概況』の、今度は大塔支線について確認すると、
大塔林道の最奥部、弘法杉付近で分岐し、大塔川本流沿いを遡上。
とあります。

大塔川の本流は、弘法杉林道支線(弘法杉から南下)沿いです。よって、「大塔森林鉄道大塔支線=弘法杉林道支線沿い」です。
『林鉄の軌跡』では短い線で描かれており、弘法杉から700mもありません。
作業軌道であるとして地図には記載しなかったのでしょうか?

おまけ1:弘法杉から分岐する弘法杉林道沿いの谷は「鋸歯谷」と言うそうです。(参考文献:新宮山の会『南紀の山と谷』)


おまけ2:近畿中国森林管理局 森林整備課『閲覧図書(令和4年度 国有林林道等交通安全管理業務)』より…
署等名細別番号路線名延長(m)
和歌山森林管理署自動車道110大塔前の川林道(大塔林道)20,229
和歌山森林管理署自動車道120大塔前の川林道(中小屋林道)4,910
和歌山森林管理署自動車道130弘法杉林道2,317
和歌山森林管理署自動車道131弘法杉林道支線801

(上野一夫『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)より引用)
最後に、上野一夫氏『大塔山の森林鉄道』を確認します。
大塔森林鉄道について、当時の関係者の証言も交えまとめられているだけでなく、
県内のほかの森林鉄道についても言及された、唯一無二の資料です。

見開いていきなり飛び込んでくる「大塔森林鉄道路線図」には、
インターネット上には一切情報がない、衝撃の文字が並んでいます。

弘法杉大塔事業所

黒蔵谷軌道線路図(民間)

インクライン

(上野一夫『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)より引用)
弘法杉大塔事業所!!!

『新宮営林署100年史』によると、弘法杉の傍に大塔事業所があり、
昭和11年より事業をしていたとか、事業所の設置は昭和13年とかとありますので、
写真の事業所もその頃の竣工かと思われます。

(上野一夫『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)より引用)

黒蔵谷軌道線路図(民間)



いわゆる「大塔支線」は民間による「黒蔵谷軌道」だった!

しかも当時機関車は導入されず、トロッコの引き上げは牛。
黒蔵谷の2つ目のトンネル先の広場は牛を飼うための広場。
カンタロウ滝付近は写真のような大桟橋が架かっていた。
大塔川を渡っていたのは太鼓橋のように反った吊り橋…

恐しい情報量、驚きの事実…ですが、今回は主題から外れるため深入りしません。

(上野一夫『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)より引用)
インクライン

そして極めつけはこのインクライン。
近隣では、高野山や大杉谷に大規模なインクラインがあったことは有名ですが、まさか大塔森林鉄道にもインクラインがあったとは…!
写真では始点と終点が写っていないため、詳細は不明ですが、前掲2者には劣るものの、それなりの規模と勾配がありそうです。

場所について、『大塔山の森林鉄道』によると、
大塔事業所からは更に左右の谷に二線の作業軌道が伸びていて、
右側の谷の斜面にはインクラインが設けられ、
トロッコは終点土場へとワイヤーで引き上げられていた(写真14)。
今はインクラインの木橋の絡繰りは無くなっているが、
斜面にレールだけが遺っているそうだ。積載したトロッコに一人乗り込んで、
ホッタブレーキを効かしながら待避線まで下り、機関車に連結していた。

(上野一夫『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)より引用)




これは確かめなければ!!!


余談ですが、このインクラインの写真は、和歌山県木材協同組合連合会『和歌山県木材史』(1993)、田辺木材協同組合『木に生きる 紀州田辺木材史』(2003)にも掲載されています。
ただし、大塔森林鉄道のインクラインであることは言及されていません。
弘法杉林道(入口~弘法杉)
今回の探索は、しばうるふ氏とともに、2023年2月、4月と5月の三度行いました。
写真は氏の愛車のワルクードです。
弘法杉林道にやってきました。
山側の車道規格の切り通しに対し、
川側を回り込む小径があります。
枕木やレール等は残っていませんでした。

(2023年4月撮影。
なお、「弘法杉林道(入口~弘法杉)」と「大塔支線軌道跡へ…」、「弘法杉林道 補遺」において明記がない写真は2023年2月撮影)
足元のグレーチングにはレールが再利用されています。
快適な車道幅が続きます。
大きな落石はゼロ。轍もあり、よく管理されている林道です。
国際森林年記念・大塔山国有林分収育林契約分収林
契約番号 第601209042号
契約年月日 昭和61年1月16日ほか
所在地 和歌山県田辺市本宮町
大塔山国有林113林班小班
面積 10,4013ヘクタール
樹種 スギ
樹木共有者の氏名及び持分割合
並びに上記契約年月日以外の年月日
近畿中国森林管理局長が保管する分収育林
台帳に記載のとおり
森林管理局所在地
大阪市北区天満橋1丁目8番75号
近畿中国森林管理局


'85国際森林年
管理署等 和歌山森林管理署☎050-3160-6120


1985年頃設置の看板のようですが、上記の下線部は上からテープ修正されています。

和歌山県東牟婁郡本宮町和歌山県田辺市本宮町は2005年(平成17年)、
大阪営林局近畿中国森林管理局は1999年(平成11年)、
大阪市東区法円坂町6-20大阪市北区天満橋1丁目8番75号は1994年(平成6年)、
田辺営林署和歌山森林管理署は1999年(平成11年)
です。
林班と小班の修正の詳細は分かりませんでした。
本線の終点「116林班」「16林班」のようにフォーマットの変更がどこかの時点であったはずです。
(ちなみに、国土数値情報(国有林野)製品仕様書によると、フォーマット上、林班主番は4桁まで可)
※参考
明治19年に官林管理のために、大小林区官制が始まる。和歌山県には和歌山大林区署が置かれ、高野山には高... | レファレンス協同データベース
近畿中国森林管理局の沿革
少し大きめの橋梁が架かっています。
もしやと思い上流側を確認すると…
大塔林道沿いで何度も見かけた姿形!
軌道時代の橋梁跡です!
『林鉄の軌跡』に「山側コンクリ橋」とあるのがこの橋梁に違いありません。


ところで、橋桁の様子が少し怪しいですが…
橋桁のハの字になり、半分宙に浮いています。
どうも橋台か橋脚の一部崩れているのか、橋桁に高低差ができているのが原因のよう。
乗ればすぐ落橋ということはありませんが、
下流側橋桁での渡橋はおすすめできません。
弘法杉林道橋梁 現行の橋梁には銘板はありませんが、よく見るとコンクリートからレールが顔を出しています。
まさかのレール筋コンクリートです。
車道転用にあたっては、ほかにもレールが再利用されていそうです。
(2023年5月撮影)

[マウスオーバーで拡大]
車道と軌道の橋梁を並びで一枚。
弘法杉林道区間では、このように2橋が並んでいるのはこの箇所のみでした。
そこから小さな切り通しを抜けると、弘法杉が見えてきました。
あまりにも巨大で1枚の写真には収まりません。

先述の林野庁のサイトによると、弘法大師が熊野詣の道中、箸として使った杉の枝が成長した姿とのこと。
ちなみに、「弘法杉」という名称で、同じような由来の大木は県外にも存在します。(近隣では滋賀県湖南市)
林野庁のサイトには「祠がある」とありますが、どうみてもレールです。
(2023年5月撮影)
弘法杉のあるところから、一段上がったこの場所が弘法杉大塔事業所跡と思われます。
(2023年5月撮影)

(新宮営林署『新宮営林署100年史』(1998年)より引用)
かつての大塔事業所の写真が新宮営林署『新宮営林署100年史』に掲載されていました。
左側の写真は上野一夫氏『大塔山の森林鉄道』にも掲載されていた、大塔事業所と弘法杉の写真です。
事業所跡(上段)と軌道跡(下段)

『新宮営林署100年史』には、大塔事業所に赴任した佐野義明職員の回想が掲載されています。
車道が整備された現代でさえここまで来るのは苦労しますが、
熊野川沿いの車道も全通しておらず(宮井(正確には椋呂?※)~請川間は未開通)、
大塔川沿いは軌道しかなかった当時の大変さは想像に難くありません。

(2023年5月撮影)
縣民の友 昭和30年1月1日 210号
弘法杉の傍には、何やらあやしいコンクリ埋設物があり、
幾つかの金具が顔を出しています。
軌道関連か、はたまた対岸への橋梁跡か?定かではありません。
(2023年5月撮影)
対岸には石垣&平場があります。
弘法杉側から河床への小径もあり、
林業関連の施設跡かと思われます。
平場には、貯水槽か?便槽か?石垣で囲まれた窪みがありました。
河床に降りると、またもやあやしい構造物があります。
実はこれ…

(2023年5月撮影)

(新宮営林署『新宮営林署100年史』(1998年)より引用)
『新宮営林署100年史』にある「大塔事業所自家発電所」(昭和30年)ではないでしょうか!!??
木造の建屋は現存しませんが、L字排水口らしきものは写真と同じような…

昭和30年の写真で注目すべきはもう一点あり、木橋の存在です。
『大塔山の森林鉄道』には、弘法杉以降は作業軌道があったとあります。
作業軌道は、木組みの桟橋による簡易構造で路盤がないことが多いですが、
少なくとも写真の範囲では、作業軌道は路盤が続いていたようです。

(2023年5月撮影)
大塔事業所自家発電所の上部です。
導水路らしきコンクリ溝もあり、水力発電のようです。

(2023年5月撮影)
落差はあまりありませんので、大塔事業所の最低限の電力を補うだけの施設だったのでは。
導水路は損傷が激しく、ほとんど埋没しています。
この導水路と河道がどのように接続していたかは謎です。

(2023年5月撮影)
河床からはひょっこりレールが顔を出しています。
作業軌道から流れてきた子かもしれません。
弘法杉林道支線
弘法杉を過ぎると、大塔川を渡る弘法杉林道本線と(写真右手)、
大塔川沿いを進む弘法杉林道支線(写真左手)に分岐します。
弘法杉林道(支線)
起点
新宮営林署

弘法杉支線林道
田辺営林署
本線側の橋梁です。
先述の大塔事業所自家発電所写真では木橋でしたが、
車道転用によりコンクリ橋梁に架け替えられています。
弘法杉林道支線を進みます。
『大塔山の森林鉄道』の「大塔森林鉄道路線図」では、大塔川右岸に軌道描かれていますが、
裏付ける遺構が見当たりません。
大塔山国有林分収育林契約分収林
契約番号 第051209018号
契約年月日 平成5年12月8日ほか
所在地 和歌山県田辺市本宮町
大塔山国有林115林班へ小班
面積 4.6741ヘクタール
樹種 スギ
樹木共有者の氏名及び持分割合
並びに上記契約年月日以外の年月日
近畿中国森林管理局長が保管する分収育林
台帳に記載のとおり
森林管理局所在地
大阪市北区天満橋1丁目8番75号
近畿中国森林管理局


管理署等 和歌山森林管理署☎050-3160-6120
大塔山国有林分収育林契約分収林
契約番号 第0061209011号
契約年月日 平成6年12月21日ほか
所在地 和歌山県田辺市本宮町
大塔山国有林115林班と小班
面積 4.7044ヘクタール
樹種 スギ
樹木共有者の氏名及び持分割合
並びに上記契約年月日以外の年月日
近畿中国森林管理局長が保管する分収育林
台帳に記載のとおり
森林管理局所在地
大阪市北区天満橋1丁目8番75号
近畿中国森林管理局


管理署等 和歌山森林管理署☎050-3160-6120
大塔山国有林分収育林契約分収林
契約番号 第071209008号
契約年月日 平成7年8月8日ほか
所在地 和歌山県田辺市本宮町
大塔山国有林115林班と小班
面積 4.7044ヘクタール
樹種 スギ
樹木共有者の氏名及び持分割合
並びに上記契約年月日以外の年月日
近畿中国森林管理局長が保管する分収育林
台帳に記載のとおり
森林管理局所在地
大阪市北区天満橋1丁目8番75号
近畿中国森林管理局


管理署等 和歌山森林管理署☎050-3160-6120
川側の擁壁が崩れ、土砂が流出しています。
が、中からレールが顔を出していることもなく、
軌道跡か判別できません。
車道終点に到着しました。
右手は砂防ダムに土砂が堆積した大塔川です。
車道終点から、さらに道が続いているようですが、
歩いてきた支線が軌道跡とは思えず、確認していません。
大塔支線軌道跡へ…
弘法杉林道の本線支線分岐に戻ってきました。
右岸になければ左岸!ということで確認してみますが、
平場があるような…ないような…

そもそもここに大塔支線の軌道があったとすると、弘法杉から本線・支線共に大塔川を渡り、
そのあとすぐに分岐していたことになります。

大塔川沿いに敷設するなら、川を渡らずに現車道の位置が適当に思え、
半信半疑で探索を続けます。
いったん川に降り、レールがないか探りながら渡河していると…
しばうるふ氏が発見!!!
石垣です!

そしてその上は…!!
平場 with 枕木のように鎮座する木片。
下流方面には、さらに明瞭な平場が続いています。

これこそが大塔支線跡ではないでしょうか!!

『国有林森林鉄道路線別概況』には、
大塔林道の最奥部、弘法杉付近で分岐し、大塔川本流沿いを遡上。
とありましたが、
大塔林道の最奥部、弘法杉付近で大塔川を渡り分岐し、大塔川本流沿い左岸を遡上。
と補足できます。

本当にあるのか?と思っていた左岸ですが、これは間違いないでしょう。
橋梁付近は小枝で埋もれ、法面も崩れており歩き難くなっています。
これは山手側の作業道の整備によるものと思われます。
この先、橋梁部分で合流することは見えていますので、引き返して上流側へ足を進めます。

足元では冬の遺構祭り開催中
軌道跡は大塔川を前に途切れてしまいました。
此岸には石垣があり、もしやと思い対岸をよく見ると…

(2023年4月撮影)
あれは…!!
石積み橋台です!!
大塔森林鉄道の橋梁は林鉄時代にコンクリート橋へ架換or車道転用されたものが多く、
このような石積み橋台が残っているのは大塔支線のほか、”黒蔵谷軌道線”の大塔川橋梁(仮)跡くらいではないでしょうか。
先程までいた対岸を振り返ると、一部崩落しながらも、橋台の姿を留めています。
橋台の先の景色です。「⊃」のかたちで曲がる大塔川の真ん中の陸部分です。
奥が下流で、軌道を振り返って見ています。
ここも石積みの橋台があります。

そして上流側には…
石積みの橋台。美しき軌道跡…
『大塔山の森林鉄道』では、弘法杉から先は作業軌道とされていますが、
この風貌は森林軌道そのものです。

昭和28年開設、10年も経たない昭和34年に廃止された大塔支線が、
半世紀以上経過してもなお往時に近い姿で残っている…!!!
雪に埋もれた軌道跡を辿ります。
対岸には先程歩いた弘法杉林道支線が見えます。
軌道は再び大塔川を渡ろうとしています。
立派な石積み橋台は健在です。
明瞭だった軌道跡はここにきて途端に姿を隠してしまいました。
左岸の橋台に立ち、右岸の橋台があるべき方向を見ていますが、石積みが見当りません。

弘法杉林道支線敷設か災害が原因か、軌道があったであろうラインは埋もれ、
痕跡を見出すことができませんでした。
河床から軌道があったであろう場所を見上げますが、
わずかな平場すらありません。
橋台があったことから、軌道は右岸を走っているはずなのですが…
左岸にも右岸にも軌道跡は見えず、
じゃばじゃばと上流を目指していると、左岸に平場らしきものが…?
よじ登ると、少し広めの平場がありました。
遺構はありませんが、軌道跡のように思えます。
この先、橋台のようなものもなく、左岸も右岸も平場が見られず、
この地点を大塔支線の終点と判断しました。
渡河し斜面を登ると、ちょうど「大塔山国有林分収育林契約分収林」表示の場所に出ました。


ところが…
終点候補の位置は橋梁からはおよそ350m~400m地点。
(※2月探索時はGPS不調のためiPhoneによる計測)
つまり、大塔支線の延長700mに届いていません…。
渡河を繰り返して距離が増嵩したとしてもこの差は埋まるとは思えません。

まだ見ぬ軌道跡がこの先に…?
弘法杉林道 補遺
おまけ。弘法杉林道支線から見る軌道跡。
写真右寄りの木々の間にある積雪部分に石積み橋台があります。
弘法杉林道入口~弘法杉間にあるコンクリ橋梁から大塔川に降りると、
レールがちらほらと…
橋梁を下からのぞいてみると…
木材に…レール???
レール筋コンクリート!!!
ここでもしばうるふ氏の観察眼が光ります。
この橋梁、拡幅されているのでは?
『大塔山の森林鉄道』には、大塔森林鉄道の軌道の橋脚にコンクリを継ぎ足して、
林道の橋脚としたと記されています。
ただ、これは森林開発公団による大塔川林道開設に係る工事に関するもので、
弘法杉林道区間はこのときには車道転用工事はなされていないはずですが、
同様の工法が、後年に弘法杉林道区間でも採られた可能性があります。

2月探索は、このように大塔支線の発見に至りました。
次回探索では、インクラインの発見を目指します!
大塔森林鉄道本線 弘法杉以降区間 インクライン探索 その1
「1000年の命を次の1000年へ」
森の巨人たち百選
弘法杉こうぼうすぎ
Koubou Cryptomeria japonica
由来 その昔、弘法大師が熊野詣での道中、大塔山の麓のこの場所で昼食を食
べた時、木の枝を折って箸の代用として使い、食事後その枝を土へ突き立
てたものが成長して、現在の二本の杉の大木になったと伝えられている。
所在地 和歌山県東牟婁郡本宮町静川 大塔山国有林14林班わ小班
巨木の現在の姿
向かって 向かって
樹高 43m 45m
幹周 610m 566m
樹齢 450~500年(推定)
問い合わせ先 本宮町巨樹・巨木協議会 TEL 0735-42-0070
和歌山森林管理者 TEL 0739-22-1460
そんな訳で、弘法杉までやってきました。
上記看板は、よく見ると向かって「左」、向かって「右」が修正されています。
作ってから気付いたんだろうなぁ…
一見何の変哲もない風景ですが、
諸兄諸姉には一本のラインが引けるはず…
大塔川を渡ってすぐの風景です。
奥へと続くのは弘法杉林道、
右手スペースは、「大塔事業所自家発電所」の写真では建物があった箇所で、
現在は動物用のわなが設置されています。
左手手前の小径が大塔支線、その奥が作業道です。
弘法杉林道の様子。
そこそこの勾配があり、本当に軌道跡か不安になってきます。
レール補強 路肩が崩れており、よく見るとレールが顔を出しています。
軌道が左岸にあったか右岸にあったかは分かりませんが、
車道転用に当たっては、今までと同様にレールが活用されているようです。


[マウスオーバーで視点を切り替えます]
車道終点にやってきました。
大塔山国有林分収育林契約分収林
契約番号 第631209024号
契約年月日 昭和63年12月15日ほか
所在地 和歌山県田辺市本宮町
大塔山国有林116林班ほ小班
面積 9.0725ヘクタール(一部解除)
樹種 スギ、
樹木共有者の氏名及び持分割合
近畿中国森林管理局長が保管する分収育林台帳
に記載のとおり
森林管理局所在地 大阪市北区天満橋1丁目8番75号
近畿中国森林管理局

(管轄署) 和歌山県田辺市新庄町2345-1
和歌山森林管理署 TEL (0739)22-1460
古レール再利用 足元を見ると、再利用された古レールが顔を出しています。

[マウスオーバーで視点を切り替えます]
車道終点から対岸の斜面を見ると、植生が薄い区間が上へと伸びています。

これがインクイン跡に違いない!!!
インクラインカーブ 賢明なる諸兄諸姉は、『大塔山の森林鉄道』の「大塔森林鉄道路線図」とインクラインの位置が違うとお気付きになられたはず。
実は、文献にインクラインと示された箇所の対岸であるカーブを通ってきました。
ただ、濃い植生の先に見える対岸は切り立っており、川幅も狭く、
インクラインが敷設されていた姿が想像できませんでした。

文献は、実際に現地のインクラインを確かめたわけではなく、伝聞を掲載しているため、
路線図はあくまで仮のものであると考え、終点へ至りました。


[マウスオーバーで『大塔山の森林鉄道』の「大塔森林鉄道路線図」を表示]
川へ降り、林道終点を見上げています。
左手コンクリが車道終点で、以降崩れてはいるものの、右手に道らしきものが続いています。
『林鉄の軌跡』のいう「終点広場 林道は少し延長している
とはこのことでしょうか?
支線の終点よりも現在の林道は奥に延びているが勾配が急になるので判別できる。」とありますが、
そのような箇所は見当りません。
大塔支線と誤って記載した事項かもしれません。
このワイヤーたちが巨木を吊り上げていたのでしょうか。
川沿いの道らしき平場は、ほどなくして消失してしまいました。
軌道はここまでは敷設されていなかったようです。
(ただ、木組みの桟橋の作業軌道があった可能性は否めません。)
渡河中…
林道下に石垣と再利用レールが見えます。
渡河中…
またもやワイヤーがあります。
直下に辿り着きました。
インクライン跡?は植生が少ないため、
植生の濃淡の境目を登っていきます。

小石が山積している足元は不安定で、
手掛かりとなるはずの灌木は進軍の妨げとなり、
足掛かりのない岩肌は迂回を余儀なくさせます。

この牛歩ペースでは、(あるはずの)上部軌道に辿り着くのはいつになることやら…
ふと目線を変えると、何やら平場が見えています。
斜面の直登は諦め、避難することにしました。
辿ってきた平場を振り返っています。
軌道跡ではなく杣道のようです。
尾根に出ました。
下っていく道と尾根沿いを登っていく道の二手に別れていますが、
インクライン候補地の直上に手掛かりがあるはずだと考え、
尾根沿いに登っていくことに。
木組みの階段が随所にあり、登り易い道が続いています。
こんなに簡単にインクラインに辿り着いてもいいのか~と慢心に慢心を重ねて足を進めるも、
わずかな平場があったのみで、インクラインや関連する遺構は一切ありませんでした。

一度分岐に戻り、今度は尾根沿いの道を下ることにしました。
平場とレール というのも、林道終点とカーブの間で平場&レールを発見していたのです。
まずレール発見箇所を目指し、その後インクラインカーブのところまで渡河せず移動するプランで、行動することにしました。

[マウスオーバーで写真を拡大します]
……途中から杣道は消え失せ、ただの斜面を下ることに。
段差が大きく迂回を強いられる箇所が多くなり、
GPS位置情報の確認も疎かにしがちになりました。
ついに水面が見えました!
泥まみれになり滑り落ち辿り着いた場所は…!
水、綺麗…

レールの箇所にはほど遠く、平行に移動しようにも相当の落差があり、
結局何もできずこの場所から撤退しました。
戻りに戻って、林道終点からインクライン候補地を平場から直登し直すことにしました。
すると、地中からワイヤーが顔を出しています。
周囲には何箇所かこのようなワイヤーが確認できました。
対岸を見下ろすと、この景色。
これはもうインクラインしかないでしょう!
さすがにインクラインの木組みではないでしょうが、
意味深な3本の樹木がもあります。

出てこいレール!
出てこい上部軌道!
何の成果も得られませんでした。
レール発見箇所を再度確認します。
平場らしき箇所はあるものの、写真右手で途切れています。
木々の向こうには、ちょうどよい斜面が見え隠れしていますが、
あまり標高はないようで、青空も見えています。

ここにレールが漂着しているということは、
少なくともこの上流にも軌道があったはず…
なのですが、遺構は一切発見できませんでした。
先程は林道から覗くだけだったカーブの箇所を確認します。
カーブの上流側には滝があり、大水の影響か手前の谷は削られています。
下流側、インクラインがあったとしたらこのあたりなのですが…
見渡す限り、何もありません。
切り立った岩肌に飛び付いても、徒手空拳では登れそうにありません。
そして林道終点の斜面です。
何度見てもインクラインがあったであろうラインが見えます。
『大塔山の森林鉄道』曰く、インクライン跡にはレールが残っていようなので、
一本でも付き刺さっていればここで確定できるものの、
遺構の類いは一切ありません。

今回の本線の探索は、ここで撤退することとしました。
そんな訳でお気軽大塔支線スナップです。
1枚目は対岸から見た石積み橋台。
軌道跡
石積み橋台
石積み橋台、反対側から。
美しき大塔支線軌道跡
大塔森林鉄道本線 弘法杉以降区間 インクライン探索 その2
日付変わりまして、再び弘法杉近辺です。
写真奥に「大塔事業所自家発電所」が見えます。
手前が鋸歯谷上流で、今回は林道ではなく、この谷をじゃぶじゃぶ進みます。
林道との高低差は然程なく、場所を選べば簡単にエスケープできそうです。
足元にはコンクリートの塊が散乱しています。
「×」印の窪みがありますが、詳細は不明です。
林道側には、ちょうど軌道幅くらいの陸地が続いており、
楽に遡行ができます。
レール1

[マウスオーバーで拡大します]
レール2
早速レールくんの登場です。
前回の探索では、1本しか発見できなかった流さレールが、
こうも次々出てくると期待せざるを得ません。
[マウスオーバーで拡大します]
川が描くカーブの内側に、謎の石垣が……!!
崩れてしまっている箇所が多いものの、弧を描いています。
こういった山中の石積みと言えば炭焼き窯跡で、近隣では坂泰森林鉄道の奥部にも遺されています。
ただ、この石積みはどうも窯のようでなく、かと言って軌道跡にも見えず……謎の石垣です。
カーブする川を見ると、溺れているレールに…
流木レール 流木に絡み付いたレール!

そして…


[マウスオーバーで視点を切り替えます]
氏のレーダーが反応!
!!!
軸受け 足元には軸受けらしき金属部品が転がっています。


[マウスオーバーで拡大します]
車輪目掛けて走り登る横目にうつる石垣くん。
これは炭焼き窯っぽいです。
埋もれた車輪 森林鉄道跡で車輪と出会うのは、はじめてのこと…
そもそもこの近辺では、(大杉谷は別格として、)池郷川口軌道の車輪もなき今、
相当貴重な遺構です。

車輪の大半は埋もれており、触ってもびくともしません。


[マウスオーバーで拡大します]
登ってきた斜面は、一段平場があり、そこから急勾配が続いています。
先を見ると、ちょうどこのラインのみ植生が少なく、
インクライン跡のような印象を受けます。
ただ、GPSで確認する限りは『大塔山の森林鉄道』の「大塔森林鉄道路線図」が示す位置とは異なります。

正誤は登り続けて上部軌道に当たれば分かるはずと判断し、わっせわっせと上へ向かいます。
林鉄車輪2 !!!
またもや車輪が出現!
反対側も顔を出しており、軌間がよくわかります。
車輪の内側には何やら文字があります。
「?」「大?」「許」「?」
防獣ネット
車輪の発見から上部軌道の発見もすぐか!?と思いきや、
平場も、レールも、もちろん木橋の痕跡もありません。

写真は、何かある!と期待するも防獣ネットだったの図です。
やっと一箇所の平場に辿り着きました。
上部軌道のようですが、左右どちらを見ても接続していたような軌道の痕跡がありません。
尾根沿いに防獣ネットが続いています。
ネット沿いを登り適当に当たりを付けて下り遺構を探すものの、
何も見つかりません…

車輪の発見という成果もあり、本日の探索はここまでにしようと、
防獣ネット沿いを下ることにしました。
羊歯🌱羊歯
途中、尾根から外れ平場を探し進むと…
平場レール びろーんとレールが横たわっています。


[マウスオーバーで視点を切り替えます]
1時間ぶりの遺構発見です!
車輪発見地点とはだいぶ離れていますが、
この付近に軌道があったことは間違いなさそうです。
先端は、トマソンのもの喰う木タイプでした。
その先ではレールの大渋滞。
斜面に横たわっているタイプ、斜面から顔を出しているタイプ、、、
分岐 そしてこのY字分岐タイプ。

[マウスオーバーで拡大します]

(上野一夫『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)より引用)
これは『大塔山の森林鉄道』掲載のインクライン写真の分岐レールに違いありません!
大塔森林鉄道のインクラインはここにあった!!
Y字レールを上から覗くと、写真手前の岩にかすがいが刺さっています。
インクラインの木橋を固定するために使われていたのかもしれません。
少し登るとまたもやレール。
その上にあったのは、見覚えがある平場でした。
まさかすぐ下に大量のレールがあったとは驚き桃の木です。
ただの軌道跡にしては広すぎることから、
上部軌道とインクラインの接続や、インクラインの巻き上げ機の操作場があったのかも。
『大塔山の森林鉄道』のいう終点土場かと言われると、そこまでの広さがないように思えます。
山腹川背で右手には、小桟橋の架かる杣道があるものの、軌道幅はありません。
左手にも、軌道があったようには見えませんでした。
この平場からは、作業軌道で桟橋を渡していたために痕跡がないのかもしれません。
レール大渋滞地点に戻りました。
少し離れたところに、分岐器の一部かウインチの土台らしきものも転がっていました。
先鋒を切っていた氏から、巻き上げ機発見の一報が!
巻き上げ機発見地点方向を、レール大渋滞地点の下から撮影したのが添付写真です。

川がカーブしているのが分かると思います。
GPSで確認すると、まさに『大塔山の森林鉄道』の地図上のインクライン地点と一致します。
資料は最初から正解を示していたのに、えらく遠回りをしてきました。
そしてこれが、
大塔森林鉄道
インクライン
巻き上げ機(ウインチ)

平場方面を見上げるの図。
巨大な木橋があったとは想像できません。
巻き上げ機は一部欠損していましたが、
落ちているパーツを合わせるとぴったんこカンカンでした。
そばにはこんなものも。
氏曰く巻き上げ機の台座の一部(ドラム中央のベルト部分)ではないかとのこと。

たしかに、大杉谷森林鉄道 インクライン跡 三重県立熊野古道センター掲載の写真を見ると、中央部に同じようなパーツが見えます。
対岸の林道方面を見ても、かつてどのように接続されていたか一切想像できません。
前回探索でインクラインがあったとは考えられないほど切り立っていると判断しただけあり、
川へのエスケープも一苦労でした。
写真上部に巻き上げ機が見えますが、その位置から上流方面へほんの少しなだらかな斜面があります。
ずり落ちやジャンプを駆使し、何とか脱出しました。
この斜面に、かつて木橋のインクラインがあった…はず。
(写真中央がレール大渋滞地点方面で、
写真左手が巻き上げ機発見地点です。)
おまけ:インクラインから少し上流にある滝です。
インクラインの対岸からはエスケープが難しそうだったので、
登れそうな箇所を探してばしゃばしゃと下流へ向かいます。
ここからなら林道復帰が楽そうだとよじ登ると…
何かが見えます。
レールが顔を出しています。

ここにレールがあるということは、
右岸が軌道跡であった可能性がより高くなりそうです。
車道化に当たって埋め立てられたことはあったとしても、
弘法杉から大塔川を渡り、鋸歯谷右岸を走り、カーブの箇所で対岸へ渡り、インクラインで上部へ…
という行程は大きく外れてはないと思います。
再びカーブです。
木々に遮られて分かりませんが、この向こうに巻き上げ機があり、大量のレールが落ちています。
この幅員が軌道時代からのものなのか、車道化にあたり拡幅されたかは分かりません。
ここから巨大な木橋が架けられていたかどうかも、確かではありませんが、
この対岸にレールが敷かれ、大塔森林鉄道の最奥部として活躍していたことは間違いないでしょう。
インクラインから、林道終点方面です。
「大塔森林鉄道路線図」を見ると、インクラインとの分岐後もしばらく軌道があったようです。
謎レール そして、インクラインカーブと林道終点の間にある謎レール。
うっすらと軌道跡のようなラインが見え、その直下にレールが落ちています。
カーブの対岸にレールや巻き上げ機を見つけるまでは、
ここもインクライン候補のひとつでした。

対岸は軌道跡なのか?あのレールは軌道跡に放置されていたものが流出したのか、
再利用のために集積されていたレールが流出したのか…現在も謎のままです。

[マウスオーバーで拡大します]
大きな成果を上げた一方で、いくつかの謎を残したまま帰路につきました。
とくに、インクライン跡候補と、車輪発見箇所は離れており、上部軌道の存在が疑われますが、
それらの痕跡は一切見られませんでした。
文献確認2

大阪大林区署『追加熊野事業区施業沿革史 大正7年度~13年度』うち
『大阪大林區 新宮小林區 追加熊野事業區 施業沿革史 大正七年度乃至大正 年度』より引用
『大阪大林區 新宮小林區 追加熊野事業區 施業沿革史 大正七年度乃至大正 年度』によると、

土木ニ関スル事項
(中略)
大杉大小屋林道及軌道ハ築設後年ヲ經ルト共ニ年々破損甚シク橋梁桟道ノ危險ニ瀕セルモノアリ
經費予算ノ干係上本年度ニ於テ漸ク中小屋橋ノ架設ヲ行ヒタルモ
尚アトサシ橋及ヒツヽ゛ラ橋危險ノ状態ニアルヲ以テ至急架設ヲ要スルモノニシテ
大塔山國有林ノ大手口ナル本林道ノ修繕ヲ断行スルニアタサレハ以テ大塔山國有林利用ノ完壁ハ期シ難キモノトス


中小屋橋は、5号トンネル手前の橋梁です。(地理院地図にて中小屋谷であることを確認)
他の橋梁は場所の特定ができません(そもそも名称の判読間違いの可能性も高いです)。
敷設後も各施設の修繕に苦心していたようです。

大阪大林区署『追加熊野事業区施業沿革史 大正7年度~13年度』うち
『大阪大林區 新宮小林區 追加熊野事業區 施業沿革史 大正九年度乃至大正九年度』より引用
『大阪大林區 新宮小林區 追加熊野事業區 施業沿革史 大正九年度乃至大正九年度』によると、

大塔山国有林ハ㐧一斯斫伐予定地タルベク施業按ニ指定アルモ
面積狭小年伐量少ク到底利用継續スルモ収支相償ハサルノ結果ヲ来シ
本年**実行ニセル処ナルモ来年*ト雖モ到底利用スルヲ得サルモノトス
然ルニ当地ニハ5779間ノ軌道ト647間ノ木馬道ヲ有シ之ガ築設ニハ多大ノ經費ヲ樣シタリト雖モ
到底利用ノ見込相立タサルヲ以テ止ムヲ得ズ
熊野事業區利用国有林即チ初期伐採ケ所ニ移送シ之ヲ有利ニ利用スル可ナルニ而カズ
但シ仝国有林ノ利用ヲ中止スルコトニ決定セサルヲ以テ当面此ノマヽトスルノ外ナシ利用中止ノコト決定セバ直チニ斯ク実行ノ見込トス


軌道5,779間=約10,506m、木馬道647間=約1,176mを多大な経費をかけ整備したものの、
それに見合う伐出量はなく、加えて修繕費用も重み、
なかなか思うような事業には至らなかったでしょう。

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 第3次検訂 実行期間昭和8年~17年度』より引用
大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 第3次検訂 実行期間昭和8年~17年度』よると、


第七章 土木計畫
35 搬出設備
旣設林道次ノ如シ
(中略)
大杉大小屋林道(〃) ※軌道大塔山國有林10,508 ※m
〃(木馬道)1,176 ※m

(中略) 之レニ附囑シテ
大塔材 廣瀨 〃 ※土場〃 ※面積0.2889 ※ha
〃(木馬道)1,176


軌道と木馬道の延長は、大正七年の施業沿革史と一致するため、この間の延伸等はなかったようです。

Googleマップで計測すると、広瀬土場から地蔵までが約9.4km、
一方、地理院地図計測だと約10.60km、MapFanだと約10.70kmとなりました。
※ちなみに、弘法杉林道入口から弘法杉までが約1.45km(地理院地図計測)
Googleマップの結果だけ見ると、当時の軌道は弘法杉林道の一部まであったようですが、
ほか2サービスの結果を見ると、地蔵地点(いわゆる八丁河原と推察)までとなります。
その先弘法杉方面は木馬道だったのでしょうか。

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 第3次検訂 実行期間昭和8年~17年度』より引用
続いて、昭和8年~17年における計画です。

2)大塔山林道(大杉大小屋林道)―軌道
大塔山國有林ノ伐採開始ニ伴ヒ旣設大杉大小屋林道(軌道)ノ改修ヲ要ス
尚之ト同時ニ現在ノ廣瀨土場ハ川入場所トシテ不適當ナルヲ以テ
尚下流ニ靜川部落マデ約2,000m 延長ヲ要ス
又上流國有林内ニ木馬道1,176mアルモ之ヲ軌道ニ改修スルト共ニ
尚延長ヲ要スルモノ改修ト併セ2,500mアリ
又現ニアル廣瀨土場ヲ處分シテ靜川部落ニ0,80haノ土場ヲ要ス
之等ノ諸經費ヲ次ノ如ク槪定ス
種類延長(面積)m單價 圎總額 圎
現在ノ軌道改修10,5082.0021.016
國有林内改修並新設2,5008.0020.000
下流ヘ延長2,0005.0010.000
靜川土場10年間借入(0.30ha)3,000.00900
15,008m
(0.30ha)
51.916

(中略)
種類延長m修繕期間 年 ※昭和修繕延長m
改修並ニ新設大塔林道(〃) ※軌道15,0089-17135.072


既設の軌道を改修するほか、1,176mの木馬道を軌道に転換、さらに約2,500m軌道を延長(転換する木馬道含む)するほか、
広瀬土場から下流の静川集落へ向け、約2,000m延長するとあります。
静川集落への延長が軌道なのか、車道なのかはここでは不明です。

『大塔山の森林鉄道』には、天然林伐採と造林は、大正4年から10年及び昭和13年から28年に実施されたとあります。
この施業案にある改修や延伸を行い、昭和13年からの事業を開始したようです。

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 第3次検訂 実行期間昭和8年~17年度』より引用

3)大塔山國有林ノ伐採開始ニツイテ
 大正2年ヨリ本國有林ニ於テ斫伐ニヨリ伐採ヲ開始シ同8年度迄165.ha78ヲ伐採セルノミニテ今日ニ至ル
コレト前后シテ開設セル搬出設備ハ
種類新設年度延長(面積)備考
木馬道大正3年1,176m國有林内
軌道大正1年10,508m國有林入口ヨリ静川迄
廣瀬土場0.ha29


軌道は大正元年敷設、木馬道はそれを延長するかたちで大正3年度に築設されたようです。

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用
大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』によると、

種別名称位置延長 m幅員 m新設年度摘要
軌道大塔林道自広瀬貯木場
至大塔山80林班
一三,三四九一・八自明治四三年度
至昭和一二年度
内昭和一二年度新設二,八四一m


延長13,349m-昭和12年新設2,841m=10,508mとなり、
昭和8年~17年度事業案は、予定通り昭和12年に竣工したようです。
木馬道か軌道かは不明ですが、新設は明治43年となっており、林野庁『国有林の森林鉄道の全路線』の開設年と一致します。

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用
ハ)大塔事業所
昭和二年ヨリ開始シ同八年度迄伐採一時中絶セシモ
大塔軌道ノ改修延長竝ニ中継廣瀨貯木場ヨリ請川林道ニ連絡スル静川林道(車道)開設ニ依リ
昭和十二年度ヨリ再ビ伐採ヲ開始シ素伐木炭ヲ生産シ請川貯木場ニ於テ処分ス
本事業ハ今後継続年數約三十年ノ見込ミナリ


昭和8年~17年度事業案で挙げていた静川集落へ延長は車道でした。
軌道で広瀬土場まで運材し、そこから田辺へ(先述のとおり請川~宮井に車道がないため新宮は不可)トラックを走らせていたのでしょう。
貯木場の移転と軌道の改修・延長により事業は軌道に乗ったらしく、今後約30年の継続の見込みとするほどです。

※余談:昭和8年~17年度事業案では、昭和2年ではなく大正2年事業開始とされています。

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用

七.一.五.産物ノ運搬及運搬計画
第一施業期ニ對スル運搬計画次ノ如シ
(中略)
※大塔山78~83林班の林道部分を抜粋
旣設㪅新設連絡関係摘要
種類延長m起奌終奌種類延長m起奌終奌
軌道一三,三四九自広瀨土場
大塔山80林班
軌道一,五〇〇自旣設終奌
至81 82林班界
広瀨貯木場ヨリ静川
請川林道ニ連絡ス


新設軌道1,500m(既設終点~81,82林班界)が計画されています。
大塔山国有林 弘法杉付近
大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用
近畿中国森林管理局『熊野川広域流域森林計画区紀南森林計画区国有林野施業実施計画図(紀南7-5)』より引用
昭和15年時点で弘法杉まで敷設されている軌道を1,500m延伸して、81・82林班界(大塔川沿い)を終点とする…もしや大塔支線のことなのでは!?

既設13,349m+新設(案)1,500m=14,849mとなり、林野庁『国有林の森林鉄道の全路線』の13,870mを越えてしまいます。
そもそも、林野庁資料の本線13,870m+支線700m=14,570mなので、この昭和17年~26年案は実行されなかったのでは…?
『新宮営林署100年史』では、「皆、兵隊に取られており、実際の事業は18年ぐらいで止まっていた。」とあり、
大塔支線敷設まで、新規軌道は敷かれなかった可能性は非情に高いです。

この昭和17~26年度事業案の結果を記した沿革史が確認できておらず、
そもそも大塔森林鉄道の廃止する昭和34年を含めた沿革史や事業結果を示す文献が確認できていないため、詳細は不明です。

[マウスオーバーで施業実施計画図に切り替えます]

大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用
事業所についても記載があり、
(二)斫伐事業所の欄に、大塔山82い内、昭和12年3月開設、とあります。
『新宮営林署100年史』では、昭和13年大塔事業所設置とされていますが、大きなかわりはなく、
そこから10数年、昭和26年に大塔事業所に赴任した佐野義明職員曰く「雨漏りのひどいあばら家同然」(『新宮営林署100年史』)だったそうです。

森林開発公団『公団月報』第4巻第7.8号(四周年記念号)(1960)より引用
森林開発公団『公団月報』第4巻第7.8号には、
「完成林道の記録(その10)大塔川林道」として大塔川林道の車道化(昭和31年~32年、延長約9,000m)について特集されています。
当時は通行券を本宮町役場で発行していた、とあります。

(新宮営林署『新宮営林署100年史』(1998年)より引用)
『新宮営林署100年史』に、「八丁河原大塔製品事業所」というタイトルで、
木造建屋の写真が掲載されています。
背景を見るに、地蔵から少し弘法杉林道方面へ進んだ地点ではないでしょうか。
撮影時期は不明ですが、車道時代と推察します。
引用は省略しますが、「トラック運材大塔山林道(昭和39年)」なる写真もありました。
脱線事故についても、逆走し始めた箇所は崩土が多い箇所であり、ふだんであれば9kgレールのところ、
応急的に6kgを使用していたことも一因として挙げられています。

ほか、「明治43年に、木馬道が出来ていたらしい。広瀬から34,624mあったことになっている。」
とあります。さすがに距離は間違いだろうと思いますが、今までの情報をまとめると、下記のとおりです。

形態距離 m
明治43(1910)年木馬道???m
大正元(1912)年軌道10,508m
大正3(1914)年軌道/木馬道10,508m/1,176mm
昭和12(1937)年軌道13,349m(既存の木馬道の軌道化及び軌道延伸)
昭和17(1942)年度~26(1951)年度軌道14,849m(計画)
~昭和34(1959)年廃止時軌道13,870m


昭和15年度檢訂 熊野事業區(地図)
(大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用)
をみると、
昭和15年の時点で軌道が弘法杉まで延伸されているため、
大正3年竣工の木馬道は、弘法杉林道区間(現在の林道入口~弘法杉)で、昭和12年軌道化したと考えています。


大阪営林局『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』より引用
ここまで様々な文献の断片的情報を分析もせずただ引用するだけでしたが、
結局、探索において不明だった、
・弘法杉以降の本線(運用や終点等)、大塔支線の詳細
・インクラインについての詳細(敷設時期等)
・インクラインカーブ~林道終点対岸の平場の謎
・存在自体が不明の上部軌道や、終点土場についての情報
は分からないままでした。

メジャーでありながら、なおも謎が多い林鉄です。
このページをご覧になった諸兄諸姉におかれましては、ともに探索者となり、
大塔森林鉄道の全貌を解き明かしませんか?
おまけ:黒蔵谷軌道線(いわゆる大塔支線)

大塔川橋台跡

今さら語るまでもない?黒蔵谷軌道線(いわゆる大塔支線)です。

(仮)黒蔵谷一号隧道

(仮)黒蔵谷一号隧道

(仮)黒蔵谷一号隧道

大崩落箇所。
この少し手前に、トラロープが張ってあるエスケープルートがあります。
参考文献
よとと氏 大塔森林鉄道大塔支線(仮)黒蔵谷トンネル
クイック氏 黒蔵谷へなちょこアタック顛末記【序】 (和歌山県田辺市本宮町静川)
林野庁 『森林鉄道』
伊藤誠一氏 『林鉄の軌跡 : 大阪営林局管内の森林鉄道と機関車調査報告書』(1996年、ないねん出版)
上野一夫氏 『大塔山の森林鉄道』(「熊野誌」第60号、2013年、熊野地方史研究会・新宮市立図書館)
新宮営林署 『新宮営林署100年史』(1998年)
大阪大林区署 『追加熊野事業区施業沿革史 大正7年度~13年度』
大阪営林局 『熊野事業区施業案説明書 第3次検訂 実行期間昭和8年~17年度』
大阪営林局 『熊野事業区施業案説明書 昭和15年度第4次検訂 実行期間昭和17年度~26年度』
森林開発公団『公団月報』第4巻第7.8号(1960)

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