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林道開設記念碑 林道重行線(薦坂線)の開設記念碑です。 旧池田隧道時代の県道粉河佐野線に代わる路線として、昭和二十六年三月に竣工しました。 |
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記念碑の後方... |
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佐川池に沿うように通じている道が、明治旧道です。 |
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次回探索予定です。 果たしてどこまで旧道は現存しているのか... |
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道路標識柱の辺りから左へ入る道が現行地図に描かれています。 (当時頼りにしていた明治43年計測の50000分1地形図にも似たような線形が??) もしや旧道か!?[地図] |
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侵入。 |
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よくわからないもの。 |
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道あり!!! |
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外から旧道?を望む。 |
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前々回タイヤと思ったものは、コンクリート管でした。 |
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舗装されています。 |
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行き止まりです。 プロオブローダーの諸兄姉は既にお気づきかと思いますが、 ここは旧道ではありません。 (この道は、例えば1983年の空中写真で確認することが出来ます。) |
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振り返り。 目的の旧道ではなかったものの、"丁度良い頃合いの"廃道でした。 |
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所変わりまして、こちらは粉河街道と旧県道の分岐点です。 えらいことになっています。[地図] |
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約2ヶ月後。 |
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レールさんは健在でした。 |
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どちらからいらっしゃったのでしょうか。 |
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旧池田隧道、神通側坑口です。 ここで管理者?の方とお話しすることが出来ました。 神通の辺りにお住まいの90歳くらいの方は、かつてこの隧道を越え学校に通ったとか... |
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隧道については前回扱ったので、 今回は写真のみで... |
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さて、先程の方のお話によると、旧隧道からの道を辿ると現隧道横に出るとのこと。 |
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早速向かいましょう。 |
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ガッキーです。 前回撤退地点を強引に進みますが、道が見当たりません。 探しても探しても見当たらず、戻ってくると... カーブし下っていく道を発見^q^ ルンルン気分で先へ進みます。 |
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なんと階段が出現。(降りた後撮影) かつてどの様に通じていたかは不明です。 |
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またもや階段。林業用として整備されたのでしょうか。 |
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道が上下に分かれています。 上段(右側)が辿ってきた道です。 |
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現道の気配。 |
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現池田隧道横に出てきました!!! |
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道路標識柱横が入り口となります。。。 |
武内雅人氏(郷土史家・元和歌山大学教育学部客員教授)によると、 明治19年竣工は誤りであり、 正しくは明治33年であるとのこと。 (歴史かふぇ: -紀の川市指定文化財-「旧池田隧道」の資料を ななや・わか氏より頂きました。有難うございますm(_ _)m) |
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資料をそのまま掲載するわけにもいかないので、その内容とななや・わか氏の情報をまとめると、 明治43年測量の陸地測量部地図には記されている。 後者は明治22年設立の山陽鉄道用の規格であり、その施工は明治33年以降である。 (民間向け生産は明治32年以降) これは旧池田隧道竣功を契機としたもの(隧道竣功を以て事業完遂とした)ではないか。 |
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現在のところ、論文としての発表は未だの様です。 (ただ、わたしたちの文化財 旧鰈川隧道では明治33年として掲載されています。) 今後の研究の進展が楽しみです。 |
次回探索!!と言いつつ、南側の旧道は空中写真(例えば1975年)を見る限り殆ど残ってなさそう^q^ 佐川池北の分岐から現隧道近くまでは絶望的。 |