Home > 廃レポ > 和歌山県道45号那智勝浦本宮線 車両通行不能区間 高瀬峠(新宮市熊野川町畝畑~田辺市本宮町蓑尾谷)
![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
前回、県道44号那智勝浦熊野川線との分岐(那智勝浦町樫原小麦)から県道229号古座川熊野川線との合流(新宮市熊野川町北ノ川)までを歩きました。 今回は、県道229号古座川熊野川線 新宮市熊野川町畝畑から、高瀬(こうぜ)峠を越えて田辺市本宮町蓑尾谷に至る箇所を歩きます。 高瀬峠区間に関する過去のレポートを見てみますと、 高瀬峠や高瀬集落への訪問記録はいくつかありますが、蓑尾谷まで到達したとの報告は確認できませんでした。 前回ご紹介した、熊野川町北ノ川を訪問した『村影弥太郎の集落紀行』さまの記事「高瀬(熊野川町)」や、 沁さまのツイート「こちらの集落跡地は、おそらくマニアでも行かないだろう和歌山県の高瀬峠になります。」では、 高瀬峠南側の集落跡まで、 奈津子のパトロールさま「和歌山県道を 探そう」や、 まきのじさまのツイート「和歌山県道229号 擁壁の上に廃集落跡がありました。このどこかに和歌山県道45号が通ってるらしいのですがもうどこが道か分かりません。」和歌山県道229号にある謎の階段。たぶんここが和歌山県道45号との交差点。では、 和歌山県道229号古座川熊野川線から和歌山県道45号那智勝浦本宮線の入口付近の紹介にとどまっています。 |
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和歌山県道229号古座川熊野川線の畝畑、 和歌山県道45号那智勝浦本宮線の自動車交通不能区間のうち、高瀬峠区間のアプローチ可能箇所のひとつです。 場所は、このあたり。 |
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スロープを上がってすぐ、朽ち果てた家屋と石垣が並んでいます。 |
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Yahoo!マップでは、県道から少し離れたところに5つの住宅が並んでいることになっていますが、 現地ではより多くの構造物がひしめいたように思えました。 |
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斜面には石垣がずっと並んでいます。 |
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石積みの階段がありました。 これは県道ではなく、集落内の小径のようです。 |
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階段を登ると、同じような幅員の道が消えてしまったため、 家屋跡と石垣に囲まれたスキマを進みます。 |
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家屋跡です。一軒家とすれば、相当大きなお屋敷ですね。 |
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ここで集落を離れ北へと登る小径に合流できました。 |
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始まって早々の落穂拾いですが… 奈津子のパトロールさま「和歌山県道を 探そう」では、今回アプローチに利用した場所とは別の入口から集落跡へと至っていたようです。 この入口こそが本来の入口か!?ということで再走しました。(260117) 場所は、初回で用いたアプローチ箇所のすぐ近くです。 |
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振り返ると、目の前に初回アプローチ箇所のスロープが見えます。 |
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登るとすぐ、石積み階段があらわれました。 |
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屋敷跡にはさまれた小径を進みます。 |
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建物ではなくなっていますが、残存物が多いことから比較的近年まで姿を保っていたのかもしれません。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの「中井平(熊野川町)」で廃屋として掲載されている場所に思えます。 |
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そこから西へと平行に進むと、初回訪問時に出会った石積み階段のところにでました。 今回はこれを登らずさらに西へと進みます。 |
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住宅跡へと続くであろう階段です。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの「中井平(熊野川町)」において屋敷跡として掲載されています。 |
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登り切ると見覚えのある景色が。 初回訪問時に、「一軒家とすれば、相当大きなお屋敷」と思った場所で、 当時は写真真ん中の石垣の上を進んでいました。 |
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合流箇所につきました。 植生で分かりにくいですが、それなりの幅員を持つ道が続いています。 これまで辿ってきた屋敷前の小径は、主要な道路としては頼りないものでした。 この道こそがかつての県道に違いありません。 |
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屋敷跡に挟まれた確かな道筋があります。 |
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振り返りです。 十分な幅員を持つ石積み階段が続いています。 |
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西へと進みます。 |
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和田川が見えてきました。 まさかこのまま川原へ下っていくのでしょうか。 |
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ぐるりと角度を変えて、県道229号古座川熊野川線の方へと進み始めました。 そんな合流箇所があったかな…と思案しながら進みます。 |
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このまま県道に合流すると思いきや… |
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道消失と思わせての |
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方向転換、川原に到着です。 |
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THE・橋台のようなものは無さそうですが… 何やら怪しげな石積みがあります。 |
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振り返り。ゆるりと下ってくる道筋が見えると思います。 |
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渡河はできませんのでいったん戻ります。 |
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ここは住居の石垣が崩れてきています。 |
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何も考えず、広い道へ広い道へと進んでくると、 3度目登場の合流箇所に到着しました。 和田川より辿ってきた、この道こそが本来のルートと思われます。 |
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では、対岸の状況はどうかということで、県道229号古座川熊野川線に戻り、 先程見えた石垣や、あやしい道筋を探していると…。 |
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ありました。 写真は、古座川熊野川線から石階段を下り、振り返って見上げているところです。 対岸では認識できていませんでしたが、はっきりとした道筋と石垣がありました。 |
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対岸の道筋がよく分かると思います。 かつては河床が低く橋台が埋もれてしまっているのか、 この此岸彼岸に橋が架けられていたのか…。 |
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古道から見る県道229号古座川熊野川線 |
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その県道229号古座川熊野川線を挟んで、古道が続いています。 このあたりは、古道を改修せず和田川林道(森林開発公団)を通したようです。 |
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少し古道を辿ってみました。 確かな道筋が続いています。 |
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上り詰めた先は…石垣? |
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高く積まれた石垣です。 この上には何らかの施設がありそうです。 |
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こちらは古道の続きでしょうか。 |
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右手は施設?へと続いているようです。 |
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門柱と…作業小屋でしょうか? |
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奥の山手にも建物があります。 |
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建物の入口から顔を出しているのは…飛び箱!? |
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中をのぞくと…学舎っぽい! このあたりで学校となると、畝畑小学校のはず。 |
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この祠も、畝畑小学校を紹介するサイトで見たことがあります。 |
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校舎横の建物です。 |
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奥には屋敷跡?があり洗濯機が佇んでいます。 教職員住宅は先程奥に見えた建物でしょうから、 このあたりは一般住宅があったのかもしれません。 |
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広場を抜けると、本来の入口がありました。 熊野川町立畝畑小学校 |
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教職員住宅らしき建物。 |
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広場と遊具。 |
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再び古道を進みます。 なお、先程の巨大な石垣前の分岐を左に進むと、畝畑小学校の正面入口へと至ります。 |
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前方は明るく、峠は近そうです。 |
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すぐに峠に到着。 まっすぐに進むと、大倉畑山を経由して鎌塚や小口に至ります。 右手方向を見ると…。 |
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石仏でしょうか。胸像タイプです。 明和四年三月 の文字が見えます。 新宮山の会『増補改訂 南紀の山と谷」「二、大倉畑山 (2)畝畑コース」においても、この石仏について言及されています。 |
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その左にも…馬頭観音でしょうか。六臂ですね。 |
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以前iPhoneで撮影した写真です。(240407) |
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さらにその左、子安地蔵とあるようです。 |
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以前iPhoneで撮影した写真です。(240407) この写真ですと、 明治 の文字が見えます。 |
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石階段完備の道があります。 |
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確かな道筋が続いています。 |
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振り返りの図。(240408) 植生に埋もれていますが、路盤はしっかりしています。 |
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県道229号古座川熊野川線に合流しました。 林道開通以前、中平集落から続く道はこのルートだったと思われます。 そして… |
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フレーム@病み上がりで病み病みな人さまのツイート「和歌山の県道がどんだけ酷いかって言うと 右の階段が和歌山県道45号だって言っても誰も信じなさそうなぐらい酷い」 にあるように、和歌山県道45号那智勝浦本宮線でもあります…。 振り返りの図。(240408) |
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さて、合流地点まで巻き戻ししまして進みます。 合流地点の近くに祠があります。 手前の石には何も文字はなく、奥に仏さまがいらっしゃる様子もありませんでした。 |
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九十九折を繰返し高度を稼いでいきます。 |
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もうこんな高さです。 |
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石組みの階段です。 |
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集落側を見ると、ボッシュート溝というべきか、滑り台というべきか…の謎の溝があります。 写真では分かりにくいですが、現地では一度踏み込むと滑り落ち、登ってこられない程度の傾斜に思えました。 |
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石組みの階段ふたたびです。 |
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この区間はある程度の幅員をもち、かつてより整備されてきたようです。 |
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石組みの階段みたび。 |
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振り返り。安定した路盤が続いています。 |
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涸沢が近付いてきました。 |
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合流。 |
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かすかに道筋が残り…対岸に渡っている? |
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対岸に道が続いているような、ないような…。 |
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道がなくなってしまいました。 |
![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
地形図を確認すると、涸沢と合流した辺りから、等高線を横切るように登る道筋が描かれていました。 |
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丁度渡河したあたりまで戻ってみると…石積み階段がありました。 |
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足元をよくよく観察すると、石積みがあります。 |
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しばらく登ると道が消失… |
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と思いきや右手へ。 |
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今登ってきた谷を回り込んで越えていきます。 |
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石積みと切り通し。 |
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高度を下げてゆきます。 |
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所々、路盤が崩れているところもありますが、北ノ川区間と比べると天国のようです。 |
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小さな峠です。 祠がありました。ここにはいらっしゃいました。 |
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文字は読み取れませんでしたが、光背や錫杖、宝珠らしきものが見えますので、 地蔵菩薩でしょうか。 |
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ずっと下りの風景を繰返していると… |
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!? |
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北ノ川区間で発見した「20」以来のキロポスト、 「10」 です。 |
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反対側には「0」とありました。 「0」…? |
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ゼロキロポスト |
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これまでのものとは異なり、根本まで露出しています。 前回のキロポストもそうでしたが、 ダート道にそびえる姿は主要道として堂々たるものがあります。 |
![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
場所はこのあたり。 和田川支流沿いの道との合流地点近くです。 |
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路肩には石垣。 |
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水音が近付いてきました。 |
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小さな滝を跨ぐ…木橋がかかっている…! |
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木橋の先の足場はなかなかに不安定に見えます。 |
![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
等高線に沿って進んできていますが、地理院地形図では異なる線形を描いています。 |
![]() Yahoo!マップより引用。 |
Yahoo!マップでは、歩いてきた道を正しく描いていそうです。 |
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…をつくる公団造林 畝畑造林地… 北ノ川で見かけた看板と同じタイプのものが木橋手前に埋もれていました。 |
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木橋を目の前にして… 痩せ細った桁に乗ることは無理、 乗り越えるべき滝は1mもないものの足元は不安定、 水量は少ないものの、流れが早く、恐怖心を抱かざるをえません。 |
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安全第一で谷に降りてきました。 木橋が奥の方に見えます。しなってます。 |
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路盤に復帰しました。 ここから木橋まで、本来の道は崩れ去っていますが、何とか近付けそうです。 |
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橋の袂です。すさまじい道、そして健気に架かる木橋… |
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路盤は再び安定を取り戻し、和田川支流への向かいます。 |
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!! 和田川支流と、石積み橋台! |
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急ぎ下ると… |
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分岐出現! |
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和田川支流沿いに道が続いています。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの「高瀬(熊野川町)」において当地へのアクセスに辿られた道のようです。 曰く、道の状態は悪い、とあります。 |
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分岐まで戻りまして、橋梁跡です。 石積み橋台です。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの「高瀬(熊野川町)」では、2013年訪問とあり、木橋が架かっている写真が掲載されています。 2025年現在では、現存していません。 |
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向こう側の橋台横には、和田川支流のさらに支流があり、その対岸に建物跡があります。 写真を左から右へと流れるのが和田川支流、写真右側で奥から手前へと流れるのが支流の支流、 画面外ですがさらにその右に石積み橋台があります。 |
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屋根はまだその形を保っており、最近まで崩落せず残っていたのではないでしょうか。 ※波板からいくつもの釘が顔を出しており、接近は危ないのでやめましょう。 |
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境界杭が放置されています。 山中ではよく見かけるものの、このようにまとまった数が一堂に会しているのはなかなか面白い光景です。 林業用の作業小屋として使用されていたということでしょうか。 |
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河床からの振り返りです。 こちら側の積み石は多くが流出してしまっています。 |
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対岸の石積みは堅牢そのもの。 |
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穴があいています。 |
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対岸の平地には、同様に建物跡があります。 |
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山手には小径があります。屋敷か社かに続いているのかもしれません。 |
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健胃消化 廣貫堂 胃腸薬 ジアスターゼ配合 100g KOKANDO CO.,LTD. |
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祠があります。 こちらにはいらっしゃらないようです。 |
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対岸に建物跡がありそうな平場がありますが、ひとまず左岸沿いへ。 |
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植林箇所を避けてスキマを進みます。 |
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何度か渡河を繰返していると、開けました。 |
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谷が二手に別れています。 ここでは地形図も確認せずに、歩きやすそうな東側へ進みます。 |
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道がないような… |
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滝に出ました。 さすがにこの滝を越えてはなさそうですので、戻ります。 |
![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
東側の谷は滝ルート、正しくは西側の谷のようです。 地理院地図は等高線を無視して登っていますが、 さすがに間違いと思います…。 |
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谷分岐まで戻ってきました。 この登りを見て東の谷へ行ったのですが… 登るしかなさそうです。 |
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谷の様子が落ち着いてきました。 |
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えらく高い石垣です。 |
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石垣と川沿いの小径(写真左手)はさらに続いていますが、 辿るべき道は、写真右手の登りのようです。 |
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踏み入れて早々、道がないような…。 |
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獣の足跡しかないような何となぁ~くの道筋を辿ります。 |
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ここまで来ると、辺りにはこの道筋しかありませんので、間違ってはなさそうです。 |
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だいぶ大味な道になってきた…と思っていると、 |
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石階段が顔を出してくれました。 |
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分岐があらわれました。 写真ではほとんど分かりませんね…。 |
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左ルートを偵察へ。 |
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安定した路盤が続いていますが、 地図上ではこの方向へは進まないはず…と思い戻ります。 |
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このまま順調に標高を上げていくと思いきや、岩壁に阻まれ、途中で進むことができなくなりました。 |
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そこで尾根に出て、無理矢理合流する作戦としました。 信じてはいませんが、地理院地図も尾根沿いを進んでいるため、何かしらの手掛かりがあるはず…! |
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…ここでも岩壁に阻まれてしまいました。 この高さを徒手空拳では登れません。 北側に平場がないかと偵察をお願いしましたが、何もないようでした。 |
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そこから2時間近く行ったり来たりを繰返し… 当初進めなくなった箇所まで戻ってきました。 倒木の先を見ると…道があるような? |
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その先、斜面を這いつくばって、尾根を目指します。 ※本来のルートを見つけられない焦りの中で選択した、全くおすすめできないルートです… |
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尾根に出ました。 |
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しばうるふ氏のレーダーにより、下方に平場があり!とのこと。 |
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道に復帰しました! 少し戻り、道の様子を見ましたが、一部はだいぶ細くなっており、迷いそうな箇所がありました。 途中、尾根へ登る途中に見た景色もありました。…平場を見逃したようです。 |
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前進を再開します。 石階段も久々に見ました。 |
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峠へ向けて登りが続きます。 |
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ふと、ほんの少しですけど視界が開けました。 山深い中、なかなかの高さまで登ってきました。 |
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峠に着きました。 高瀬峠です。 |
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キロポストがあります! …… 8+10? |
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ちょうど峠部分に鎮座しています。 写真は、来た道を振り返っています。 |
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ポツンとキロポスト |
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西方を見ると、お地蔵さまがいらっしゃいます。 |
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「延命地蔵」「弘化」の文字が見えます。 |
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ここから先はずっ~と下りです。 |
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下ってます。 |
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まだまだ下ります。 |
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所々石階段が顔を出しています。 |
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下りが続きます。 |
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またもや石仏さまです。 |
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こちらは文字情報を読み取ることができませんでした。 |
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「~妙~信女」と戒名が見えます。 お供えされているアサヒビールは東京五輪デザインですので、 そう遠くない昔にどなたかが訪れたようです。 |
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道が二手に別れていましたが、下っていく道が正解です。 |
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木橋です。 この区間の木橋の残存率はかなり高いです。 |
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往時の姿のままではないでしょうか。 |
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橋台はありません。 |
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橋梁だけが輝いてみえる、神秘的風景。 |
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渡った先、一面の石垣。 足元には、塩ビ管? |
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一気に現代的な、人の気配がしてきました。 |
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塩ビ管は路肩にいます。 |
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石祠があります。 |
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庚申塔でした。 |
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蓑尾谷までお供してくれる河川を見ると…水路がある? |
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河川に寄り添う…コンクリ水路。 |
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振り返り。 すてきな石階段です。 |
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炭焼き窯跡。 対岸には、石垣と塩ビ管が見えます。 |
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真ん中に炭焼き窯跡。 右手奥からは苔生した石階段。 |
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そしてその先に… |
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またもや現存木橋です。 |
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当時でも渡るのはなかなかスリルがありそうです。 渡る方はいらっしゃらないと思いますが、 先程の木橋も含めて、随所に鉄釘がひょっこり顔を出していますので、 冗談でも橋上に足を踏み入れるのは危険です。 |
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ここは橋台があります。 |
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苔&苔 |
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平場と法面に挟まれた古道 |
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川沿いの平坦な道が続きます。 |
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プチ鬼の洗濯板 |
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対岸を見ると、田畑跡か住居跡か?石垣が見えます。 |
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対岸に道筋が見え、足元には橋台らしき石積み… ここの橋梁は現存しないようです。 |
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橋台です。 |
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歩いてきた道です。 石垣により路肩が補強された、状態の良い道が続いています。 |
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石垣に囲まれた、はっきりとした道筋が続いています。 |
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小さな切り通し。小さな石階段。 |
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振り返り。正面にさきほどの橋台が見えます。 |
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切り通しを越えると、石祠があります。 畝畑~蓑尾谷区間は、現存木橋と石祠が特徴的です。 |
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こちらにもいらっしゃいます。 |
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さらにこちらにも。 |
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さきほどの祠をまたぐように、石階段が続いています。 疲労もあり、この先はさすがに確認していません。 |
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その先…正面が明るい! |
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蓑尾谷集落! |
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集落近くの道だからと言っていきなり幅員が広がることなく、 今まで歩いてきたような道幅が淡々と続きます。いいですね。 |
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田辺市道静川蓑尾谷線(名称は、たなべWebMap ‐ 詳細情報 ‐ 市道情報>>路線形状>静川蓑尾谷線より)です。 |
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下ってきた道です。 畝畑側の入口もこのようなスロープになっていましたね。 スロープに始まり、スロープに終わる。 |
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下る道の手前、実は分岐がありました。 おそらく現在はお住まいでない住宅の前を通る道です。 |
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このような石階段です。 もしかしたら、本来の古道がこちらかもしれません。 |
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蓑尾谷の集落内を流れる河川を渡る橋梁です。 |
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静川方より橋梁へ至る道は、立派な石垣を供え、古くからの道である証左です。 |
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橋梁を渡り、右手に進むと… |
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石垣に囲まれた… |
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住宅がありました。 もうお住まいではないようです。 |
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徒歩走行距離は、約11.2km、 徒歩走行時間は、約8時間47分、 標高の最高地点は高瀬峠で約525m、 最小地点はスタート地点の約138mでした。 高瀬峠手前で道を見失い、2時間以上さまよっていましたので、 正しく進めば、蓑尾谷でストップせずに、畝畑~皆瀬川を踏破することもできそうです。 路面はほとんどの区間で安定しており、 現存木橋や石祠が点在する、よい道でした。 |
![]() 和歌山県東牟婁振興局新宮建設部管内図(令和3年1月作成)より引用。 |
今回、あえて掲載しませんでしたが、前回の概要で 「県道229号線と合流後、ホイホイ坂林道の続きを描くよう和田川右岸を進み、県道229号線と再度合流、」 と記載したように、和歌山県と国土地理院で県道扱いする区間がどうも異なるようです。 管内図を見ると、那智勝浦町樫原~新宮市熊野川町北ノ川は「通行不能区間」とされており、 小原川橋を渡って和歌山県道229号線古座川熊野川線と合流後、 しばらく重複していますが、ホイホイ坂林道入口で分岐し、色着き点線となり、 和田川を渡り和歌山県道229号線古座川熊野川線とクロスし、 畝畑小学校のある小山を越え、和歌山県道229号線古座川熊野川線と合流、 今度は「通行不能区間」として和田川対岸へと渡り、山中を進んだ後、 再び和田川を渡り、和歌山県道229号線古座川熊野川線とクロス、 引き続き「通行不能区間」で少し進むと地理院地形図の徒歩道(地理院地形図上で黄色着色)と合流、 その後は地理院地形図の徒歩道の線形にあわせ「通行不能区間」が続く… 文章にするとえらく長くなりますが、管内図のとおり実際はややこしい線形を描いています。 (※余談ですが、前回ご紹介した「和歌山県の道路(パンフレット:令和元年6月)」では、和田川を渡る箇所が異なります。) ×付き点線区間は、「通行不能区間」と凡例にありますが、色付き点線は表記がありません。 建設中や予定されている自動車専用道路を見ると、色付き点線となっていますので、建設予定路線ということでしょうか。 小原川橋までの「通行不能区間」は実際に道がありましたが、この和田川を行ったり来たりする区間、 現行の地理院地形図には描かれていません。道は実在するのでしょうか…。 |
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そんな訳でホイホイ坂林道新宮市熊野川町側入口にやってきました。 |
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あやしい分岐と…あやしい構造物が見えています。 足元には、石段があります。 |
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全国Q地図さまによると、「小口吊り橋」(新宮市道畝畑2号線、昭和30年、延長15.9m、幅員1.8m)とあります。 |
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渡って早々、しばうるふ氏のレーダーが感知。レールがある! 渡ってすぐ、住居跡がありそうです。 Matsup's Hikes and Motorcyclesさま『Kiihantou_20100926』によると、 今、畝畑にお住まいの方(Matsup's Hikes and Motorcyclesさまでは2軒となっていますが、令和2年度国勢調査では、新宮市熊野川町畝畑字栗須は1世帯となっています。)は、 かつてこの対岸に住まいがあったそうです。 |
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不安定な箇所もありますが、道が続いています。 管内図上では予定線?なので、実在は問わないかもですが… |
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石垣の数々があらわれました。 住居跡か田畑跡でしょうか。 |
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何もつながっていない電柱があり、近寄ると…「畝畑TV組合」とあります。 かつては共同でアンテナを設置し受信していたのでしょう。 |
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道らしき石垣上の空間は…この先消えている? |
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川原に下りてみます。 |
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道が続いているであろう斜面ですが… |
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道があると言えばあるような… しかし、かつて子供たちがこの道を伝い畝畑小学校に通っていたかと言われると、なかなか現実味がないかもです。 |
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アングル違い。 |
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現地では私はこの道が県道と考えていました。 というのが、この危険地帯を越えた先、対岸にあやしい石垣があったのです。 このまま対岸に渡ると、3石仏峠への入口もすぐ…線形だけは自然です。 |
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しばうるふ氏の考えでは、集落から、和田川に対し直角に橋が架かっていたのではないかとのこと。 確かに対岸にはあやしい石垣があり、あやしい窪みが2箇所ある! こちらの方が橋梁っぽいです。 どちらかの方法で和田川を渡った先は、先述の落穂拾い 本来の県道について。と、畝畑小学校跡のとおりです。 ただ、管内図では、峠から先、畝畑小学校前の古道は通らず、まっすぐ和田川へと下りています。この点では建設予定路線と言えそうです。 |
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管内図では、中井平集落から地理院地図の描く道には入らず、 和歌山県道229号線古座川熊野川線と重複した後、和田川へ下りています。 下り口は…ここでしょう。小径があります。 |
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石段の先には… |
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主塔らしきコンクリート構造物と、宙に浮く木材… |
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し、死んでる… Googleの高倉神社のレビューでは、森林さまによる2019年頃の写真が掲載されており、問題なく渡橋できそうでしたが、 Masayukiさまの2022年頃の投稿で「吊り橋は崩落しており、ワイヤーだけが掛かっている状態」となっています。 |
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しばうるふ氏のレーダーが感知。 |
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レールがある! 前回の小原川橋にはじまり、橋梁にはセットでレールがありました。 このあたりでレールとなると、大塔森林鉄道しかありません。車道転用に当たり不要となったレールを吊り橋の部材として組み入れたのでしょうか。 |
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ちょっと寄り道。 川沿いの小径を進み… |
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石段を登り続けます。 途中、木材により補強された箇所を越えたりすると… |
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高倉神社です。 |
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お供えしました。 |
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橋梁を渡ることはできませんので… |
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こう…じゃぶじゃぶし… |
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対岸にやってきました。 |
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ここから登るのは大変そうなので… |
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水路から這い上がります。 |
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こちらにレールは見当たりませんでした。 |
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集落内の石段を登ります。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの記事「檜曽原(熊野川町)」にある檜曽原集落のようです。 2013年訪問の写真が掲載されており、吊り橋も健在です。 |
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石段を何度か折り返し上り詰めると… |
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広場に出ました。 写真右手に徒歩道幅で石が埋め込まれており、ここが道ということでしょう。 |
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植林地帯を抜けると、陽射し射し込む明るい広場 …と境界杭「藤田観光」とあります。 |
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住居跡です。きれいに残っています。 『村影弥太郎の集落紀行』さまの記事によると、 無住になったのは昭和42(1967)年とありますから、60年近くそのままのはずです。 |
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徒歩道は、このように住居前を走っています。 |
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その先、行き止まりと思わせての… |
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先程までの幅員を保ったまま、住居跡の石垣に囲まれて登っています。 |
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『村影弥太郎の集落紀行』さまの記事では残っていた住居跡ですが、 現在は倒壊してしまっています。 |
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登りが続きます。 |
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足元には…「藤田観光」の境界杭です。 |
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石段を登った先、石燈篭が見えます。 |
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馬頭観音像です。 |
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「御神燈」には、「文久」と刻まれていました。 |
![]() 地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。 |
現在地は、地図の示すあたりです。 道はここで分岐しており、右手が3石仏峠から続く、大倉畑山を経由して鎌塚や小口へ至る道に合流します。 左手が、管内図の描く県道で、和田川沿いを北方向へと続いているはずです。 地理院地形図は、前者の道のみを描き、Yahoo!マップは後者のみを描いています。 |
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左手方向、まだまだ登りが続きます。 先程までの石段たちはどこかへ行ってしまったのか、写真だと道があるようにはあまり見えません。 |
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またもや道が分岐しました。 ゆるやかに勾配を稼ぐ下の道か、一気に登り切る上の道か… まず上の道を進みます。 |
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尾根はすぐそこです。 …何だか日当たりが良さそうで、もっさり植物が見えています。 |
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急斜面&幅員狭し、そしてこの先羊歯ゾーン&防獣ネットに阻まれ、撤退。 この日は那智勝浦本宮線の皆瀬川旧道区間で羊歯とネットに苦しめられ、もうお腹いっぱいでした。 |
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分岐まで戻り、下の道を進みます。 |
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すぐに同じような景色になりました。 この日はここで撤退しました。 |
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管内図上では、和歌山県道45号那智勝浦本宮線と和歌山県道229号古座川熊野川線がクロスしているあたりにやってきました。 檜曽原へ反対側から目指します。 場所は、このあたりです。 |
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ちなみに、この空き地の北側には、段々とした石垣があったりします。 |
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和田川の方をのぞきこむと…ゆるやかな斜面です。 |
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巨大な排水管…ですが、鎮座するその石垣、だいぶ古そうではありませんか? もしや橋台…? |
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対岸を見ると…少し下流ですが、橋台らしき石垣が見えています。 |
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距離感は写真のとおりです。和田川に対し斜めに架かっていたのでしょうか。 |
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対岸橋台?を正面に見る斜面にやってきました。 |
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足元を見ると…ワイヤーが転がっています。 …謎です。 |
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またもや、じゃぶじゃぶし… |
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到着しました。 橋台跡に違いありません。 |
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まっすぐ対岸を見ますが、橋台らしいものは見えません。 |
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先程の橋台の方向です。 写真中央のあたりに橋台?があります。 |
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橋台周辺にはワイヤーが転がっています。 |
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そして、橋台上には…レール! |
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この子はやはり大塔森林鉄道出身なのでしょうか。 |
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小口吊り橋(新宮市道畝畑2号線)と同じ活用だったようです。 |
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背後にも石垣です。この石垣の上に主塔があったのでしょうか。 |
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橋台からは、南北どちらにも道が続いています。 県道ではないはずですが、北方向の道は、明治44年測図昭和8年要部修正測図同28年応急修正5万分1地形図「新宮」には描かれているため、 少し確認に向かいます。 |
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すぐに進むことができなくなります。 |
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この岩壁をよじ登る道もなさそうです。 路盤が流出してしまったのかもしれません。 |
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橋台へと戻る途中、こちらを見つめる排水管… |
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戻ってきました。 |
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南進します。 穏かな道が続いています。 |
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山肌をへばり付くように進む道が現われないか不安… |
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嫌な予感がします。 |
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ここまで平坦な道が続いてきましたが… |
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消失。 |
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あまりの急斜面に目を逸らしていたこの登りしかなさそうです。 |
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所々、石段が顔を出しています。 この道で間違いなさそうです。 |
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なかなかの高低差です。 かつてはこの道を人々が往来していたのでしょうか…。 |
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やっと、穏かな登りになりました。 |
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その先、分岐が現われます。 和田川沿いの道は…今度はなかなか急な下りです。 この道を引き返すのは骨が折れるので、いったん分岐を山側へと進みます。 |
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路肩は不安定ながら、石段が続く小径。 |
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住居跡らしき石垣が見えます。 徒歩道はこの急斜面を避け、いったん折り返して標高を稼いでいます。 |
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集落跡です。『村影弥太郎の集落紀行』さまの記事「和久保(熊野川町)」のとおり、和久保集落のようです。 |
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集落跡から続く道を探しますが…なさそうです。 あの分岐の先を行くしかありません。 |
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集落跡から見下ろす和田川。なかなかの高低差です。 和久保にお住まいだった方々もこの景色を毎度見ていたはずです。 |
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分岐まで戻ってきました。 |
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石段多めです。 |
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急な下りが続きます。 |
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さらに急勾配になりましたが、終わりが見えてきました。 |
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道が消えた…? |
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川原へと下る踏み分けが見えます。 |
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今、下ってきた斜面です。 この堅牢な石垣を見ると、歩いているときと印象はだいぶ違いますね。 |
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和田川です。 向こう岸を見ると、道の続きがあるような…。 先述の明治44年測図昭和8年要部修正測図同28年応急修正5万分1地形図「新宮」だと、 向こう岸に渡河後、再度こちらに戻ってきているようです。 |
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こちら側は、山中を進まない限り、道はなさそうです。 管内図では渡河していませんが、旧版地形図では渡河している…ということで、じゃぶじゃぶし… |
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道…っぽい! |
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斜面には石垣が見えます。 この斜面を登り切ると、和歌山県道229号古座川熊野川線に辿り着くはずです。 |
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石垣と川原の間のスキマを進みます。 |
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植生に埋もれていますが、川原へゆるやかに下る道筋があります。 |
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再度じゃぶじゃぶし… 道の続きを探します。 |
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取り付く島が…ない! 見た目は道がありそうですが、それは序盤のみで、 ほぼ斜面です。 地図を確認すると、この先で谷を渡ることになっているため、 ここで山に入っても、いずれは下ってくるはずと考え、川原をとぼとぼ歩くことにしました。 |
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くだんの谷です。 |
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道!復活! |
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踏み分け明確な道が続きます。 Yahoo!マップにもこの先は描かれており、勝利は確定! |
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羊歯の侵攻があるものの、控え目でたいへん歩きやすいです。 |
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登りがきつい…けれども、道筋は明確で不安はありません。 |
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数は少ないですが、この区間にも石段があります。 |
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下りに転じました。 |
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石段がなければ、ただの斜面になりそうです。 |
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休憩ポイント。 |
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道が分岐しています。ここでは、上の道を選択。 |
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次第に道があやしくなり… |
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下の道に合流しました。 |
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このあたりはまだ路面が安定しています。 |
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ヤツが見えてきました。 |
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防獣ネットです。 …ワープ! |
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ワープ完了しましたので先を急ぎます。 |
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防獣ネットのワープ以降、道の状況が芳しくありません。 |
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背丈以上の木々に囲まれ、だいぶ暗くなってきました。 |
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前方が明るい! |
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羊歯ゾーンですが、まだ踏み分けがはっきりしています。 |
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落石も加わってきました。 |
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先日撤退地点である羊歯&防獣ネットに到着しました。 檜曽原側の分岐は、上側の道が正解のようです。 …ワープ! |
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ワープしました。 |
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先日往復した道ではあるので不安はないのですが、 これが正しい道なのか…という驚きがあります。 |
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石段を駆け下りると… |
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馬頭観音像まで戻ってくることができました。 これで和田川左岸の県道45号を走破することができました。 |
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管内図上では、和歌山県道45号那智勝浦本宮線と和歌山県道229号古座川熊野川線がクロスしているあたりです。 管内図では、和田川から這い上がってきた和歌山県道45号那智勝浦本宮線は、写真中央の斜面に続いていることになっています。 写真は使い回しです。 |
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あやしい階段があります。 |
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電柱を挟んで、あやしい踏み分けもあります。 中井平では、右手の階段が分かりやすい道につながっていました。 今回も同じ右手にある踏み分けを進みます。 |
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何となくの踏み分けはありますが、道らしさはありません。 階段から続く道と合流しましたので、先述の選択はどちらでもよかったようです。 |
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前方に道が見えてきました。 |
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合流した道です。 下りは帰路に確認することにします。 |
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山側にも道が続いています。この道がきっと和久保から続く徒歩道のはず。 |
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川沿いの路肩には石垣が積まれています。 |
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見た目は道がなさそうですが… |
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このように石段があったりします。 |
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川沿いのほかに、斜面を登る踏み分けを見つけ、そちらを進んでみます。 |
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対岸を見ると、多数の石垣たちがこちらを見ています。 |
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案の定、道がなくなりました。 登る箇所が手前過ぎたと考え、このまま等高線沿いに移動し、 遅れて登ってくるはずの本来の道との合流を目指します。 |
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無事合流。石段もありますし、この道で間違いないはずです。 |
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羊歯の勢いに気圧されて路肩にいくと、崩れるトラップがあります。 |
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あ!MOWSON開店! RYGのブログさま『缶コーヒー ~SUNTORY BOSS~ 編』によると、このデザインの賞味期限は2005年とあります。 約20年くらい前にここで一服された方がいたようです。 |
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石段ゾーンを越えると… |
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峠がすぐそこ! |
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十分な幅員を持つ徒歩道と合流しました。 これが中井平より続く、国土地理院の描く県道45号那智勝浦本宮線です。 |
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一方、たった今登ってきた、和歌山県の管内図で描かれている県道45号那智勝浦本宮線を振り返ります。 …県道かどうかはさて置き、中井平からの道が古来からの主要道であったのは明らかですね。 |
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峠には見覚えのある地蔵菩薩像です。 下調べなしで飛び込んできたため、古道が合流する峠にある地蔵菩薩像…!と感動を覚えました。 |
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帰路、脱線しないよう道を辿ったところ、川沿いに広がっていた平場の終端に下りてきました。 |
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振り返りです。高度を上げていく道筋がよく分かると思います。 なお、途中に折り返し地点が1箇所あり、下りでは見過してしまう可能性がある(一敗)ので注意が必要です。 |
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住居か田畑跡です。 帰宅後、先述の旧版地形図を確認したところ、 峠からここまで下ってくる道と、建物記号が描かれていました。 |
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高く積まれた石垣上に広がる平場と… |
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そのアクセス路 |
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川沿いの道があらわれました。 往路はすでにこの山手でうろうろしていました。 |
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木橋が架かったままです。 |
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往路で辿った道とも合流しました。 |
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最後に、この道の末端を確認。 これ以上は和歌山県道229号古座川熊野川線の(おそらく和田川林道時代に)道路の擁壁となり、消失しています。 |
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振り返りです。よき古道という雰囲気です。 もしかしたら和歌山県道45号なんて名称があるかもですが…。 |
| 執筆中… |
Home > 廃レポ > 和歌山県道45号那智勝浦本宮線 車両通行不能区間 高瀬峠(新宮市熊野川町畝畑~田辺市本宮町蓑尾谷)