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和歌山県道45号那智勝浦本宮線 車両通行不能区間 バイシ峠(田辺市本宮町蓑尾谷~田辺市本宮町皆瀬川) - Frost Moon Project

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和歌山県道45号那智勝浦本宮線 車両通行不能区間 バイシ峠(田辺市本宮町蓑尾谷~田辺市本宮町皆瀬川)

はじめに
和歌山県道45号那智勝浦本宮線は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町八尺鏡野から、和歌山県田辺市本宮町請川に至る主要地方道です。(Wikipedia)
和歌山県道43号那智勝浦古座川線と和歌山県道241号静川請川線が一部で重複しています。
いくつもの車両通行不能区間を抱え、車道としては那智勝浦町から本宮町まで繋っていません。




前々回は、県道44号那智勝浦熊野川線との分岐(那智勝浦町樫原小麦)から県道229号古座川熊野川線との合流(新宮市熊野川町北ノ川)までを歩き、
前回は、県道229号古座川熊野川線 新宮市熊野川町畝畑から、高瀬(こうぜ)峠を越えて田辺市本宮町蓑尾谷に至りました。
今回は、田辺市本宮町蓑尾谷から、バイシ峠(紀伊続風土記においては、「婆伊志峠」表記。由来不明。)を経て、
車両通行不能区間のゴールである田辺市本宮町皆瀬川までを歩きます。

バイシ峠区間に関する過去のレポートを見てみますと、
『みちと標識の写真館』さまの「主要地方道 那智勝浦本宮線(田辺市、新宮市) 本宮側の那智勝浦本宮線(通行不能区間)」において、
皆瀬川側からのアプローチが試みられていますが、石段の道に入ったあたりで、
そして道は二手に分かれるのだが(点線で示した部分)、どちらが熊野川方面か分からず、ここで引き返した。
とあり、バイシ峠の様子は分かりません。
市道静川蓑尾谷線 高野谷橋から、八幡さままで

Yahoo!マップより引用。
前回、蓑尾谷川に架かる橋梁を渡り、かつてのお住まいを確認しました。
Yahoo!マップを確認したところ、川沿いに道がある!とのことで、
この道を進んでみます。

ちなみに、地理院地形図では、前回ゴール付近の住宅が複数立ち並ぶ道路(田辺市道蓑尾谷2号線(たなべWebMap))を県道として描いています。
建物の位置だけ考えるとおそらく誤りかと思いますが…。

場所は、前回のゴール地点、古道と田辺市道静川蓑尾谷線の交差点です。
全国Q地図さまによると、足元の橋は「高野谷橋」なる名称だそう。
林野弘済会『森林開発公団10年史』(1968年)』によると、
瀬井と蓑尾谷を通る静川林道が昭和34年度頃に竣工しているようで、元々はこの静川林道の橋梁であったと考えます。

石垣護岸と…その上にスペースがありそうです。

下りてきました。

きれいに積まれた石垣が続いています。

内側は…住居跡でしょうか。

階段がありました。画像は振り返りです。

川沿いをゆく小径。

田辺市道蓑尾谷2号線から折れ、分岐してきた道と合流しました。
なんとなく古道っぽい!ですが、地理院地形図は県道として描いていません。

前回渡った橋梁が近付いてきました。
対岸をよくみると、川原に下りるスロープのように石が積まれています。

橋梁を渡った先、今回は左折します。

小径が続いています。

足元の石積みを見る限り、幅員は人一人分しかありません。

古道は写真左手方面に徐々に標高を上げていくようです。

木橋のようですが、コンクリートで補強されており、通行に支障ありません。
蓑尾谷集会所前 蓑尾谷川の方を見ると…別の橋梁が見えています。
蓑尾谷集会所(蓑尾谷公民館?)前に橋梁があり、そこからでもアクセスすることができます。

ゆるやかな傾斜、ほどよい幅員、小粒な石垣たち…間違いなく古道の出で立ちです。

階段の途中、祠がありました。
蓑尾谷の馬頭観音 馬頭観音像です。「文化三…」と文字が彫られています。

馬頭観音像からすぐ、車道に合流するようです。
そのガードレールの手前に…

これは…道標…!?
右 右ハ ウケ川

「ウケ」よりも「うケ」に見えますが…。
この方向にある主要地点は、「皆瀬川」「請川」「大川」(熊野川)だけですので、「請川」を示しているはずです。
同 同 川ユ

「川湯」、川湯温泉を示しているようです。
左 左ハ ヒヅ川

「ヒヅ川」=「シヅ川」で「静川」を示している…はずです。
「七五三」を「ひちごさん」と言うように、
「静川」を「ひずかわ」と普段から読んでいた…という仮説です。
距離 五十丁
三十六丁
三十六丁



1丁を109.09mとすると、それぞれ「5,454.5m」「3,927.24m」「3,927.24m」となり、
おおよそ、それぞれの目的地までの距離と一致すると思います。

さて、右方向の請川方面、和歌山県道45号線那智勝浦本宮線ですが…現道にのみこまれ消えている!?

そのまま残っていました!

ガードレールの向こうに往時のまま残る古道…すてきな光景です。

余談ですが、電柱には「蓑尾谷」「ミノダニ」とありました。
和歌山県 田辺市 本宮町簑尾谷の郵便番号 - 日本郵便によると、「ミノオダニ」とあります。
本来は「ミノオダニ」で、口語だと「ミノダニ」になるのかもしれません。

左方向の静川方面です。

徒歩道サイズの平場があるような…ないような。
和歌山県道45号からは外れますが、少しだけ進んでみます。

石垣が顔を出している区間もありますが、古道由来かどうか不明です。
じきに現道にのみこまれてしまいました。

木々の向こうに住居跡があったような平場が見えます。

その先、橋梁があり、全国Q地図さま曰く田辺市道松久保線「松久保橋」ですが、
その横にあやしげな空間が。

旧橋梁の橋台&川原へ下りる階段です。

対岸です。現在は畑へ下りる足場の一つとなっています。

分岐に戻ってきました。

この左手に地形図に描かれる徒歩道がありますが、個人のお宅へつながっているように見えたため、すぐに撤退しました。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
現在地は、画像のとおりです。
車道を走っているだけでは分からない、様々な道たちが行き交っています。

それでは請川方面の古道、和歌山県道45号那智勝浦本宮線を進みます。

踏み出して早々、足元を見ると補修跡があります。
長きにわたり人々の暮らしを支える道…いいですね。

小さな分岐がありますが、もちろん石階段が続く方へ。

右手には小屋跡と…古道がまたもや存続の危機…!?

車道に一部削り取られているようですが、先へ続いています。
写真左手の石垣も同じ見た目ですので、車道を通すにあたり改修されたようです。
古道を残していただきありがたい…と思いますが、そもそも県道が市道(当時は町道?)に負けたのか…という気持ちもあります。

ふたたび木々の中へ…

近くて遠い車道との距離感

左手の一部が墓地となっています。

車道側へ抜ける小径があります。

小径の途中から分岐する石段。
周囲はかつて墓地だったのか?田畑だったのか?石垣が続いています。

車道が少しだけ拡幅されており、駐車スペースとなっているようです。

古道に戻り、先へ進みます。

舗装路終点の住宅の姿を確かめてから数十秒しか経っていないはずですが、この景色です。
蓑尾谷石仏 石仏があります。地蔵菩薩…でしょうか。
文字が刻まれていますが、痛恨のメモ漏れです…。

分岐がありますが…もちろん左へ。

ちらほらと羊歯が顔を出していますが、路面は明瞭です。

所々に石段があります。

これほどまでに明るい和歌山県道45号はいつぶりでしょうか…。
路面は文句のない程安定しており、何とも幸先の良いスタートです。

たいへん山深いところを歩いているはずですが、この明るさ。
北ノ川高瀬峠手前での苦労が報われるようです。

同じような写真ばかりですが…和歌山県道45号那智勝浦本宮線の通行不能区間におけるオアシスです。

登り区間がいったん落ち着くと、左手に平場があらわれました。
かつては住居か田畑があったのかもしれませんが…その痕跡は読み取れませんでした。

いつのまにか周囲は暗くなり、路面の状況も堆積物が増え、足を踏み外すと真っ逆さまな状況に…。
県道45号線のオアシスはどこ…?

路肩に石垣は見えますが、その手前の状態があまり良くありません。
ただ、何度も繰り返すように、北ノ川高瀬峠手前に比べると、難所ですらありません。

このあたりも路盤は流出気味かつ左手は底の見えない急斜面ですが、優しさであふれているように思えてしまいます。

気付くと、なかなかの標高まで歩いてきたようです。

ふたたび路面が安定してきました。
思い返せば、和歌山県道45号にはこの幅員の半分以下の箇所もありました…(しみじみ)。

ここでターン!(with 石段)

峠に到着しました。
ここで道が分岐しています。
地形図を確認すると、この先、蓑尾谷川の少し北側を進み、途中で途切れているようです。

請川へはこちら。下りに転じます。
道標なり祠があってもよさそうな場所ですが、何もありませんでした。
『紀伊続風土記 第3輯』の「簑尾谷村」において、「北は婆伊志峠を越えされは皆瀬川田代大野の諸村に到りかたし」とあり、
ここまでの登りや景色は「バイシ峠」らしいと思えるものでした。

ここがバイシ峠であるなら、
近畿民俗学会 編『近畿民俗 = Bulletin of the Folklore Society of Kinki
: 近畿民俗学会会報』(101/102/103)(1985年)
にある「蓑吊り」が行われていたはずです。

上記資料では「蓑尾谷」と「蓑谷」が登場します。
先述のとおり、正式な名称としては「蓑尾谷」で、口語が「蓑谷」だと思います…。
また、「バイシ峠」も何度か登場し、
皆瀬川住民曰く、「蓑谷と皆瀬川の境である。
静川住民曰く、「オネドリからコセへ行く峠のところで、越えたら皆瀬川だし、
こちらは田代に下りてくるところに、石を積んでヤスンバみたいにしてあった

とあります。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
令和2年度国勢調査の小地域データを地理院地形図で表示させたところ、
ちょうど峠の辺りで本宮町蓑尾谷と本宮町皆瀬川の境となっているように見えます。
この点、上記の「蓑谷と皆瀬川の境である。」と一致します。

ただし、
オネドリからコセへ行く峠のところで、…」
の「オネドリ」「コセ」は場所が不明ですし、
田代に下りてくるところ」はまだまだ先のように思います。

しばらく進むと…羊歯が攻めてきた!
でも踏み分けは驚くほど明確。今も往来があると考えました。

左手に分岐があらわれました。
写真は振り返りで、写真左手の道が歩いてきた道、右手が分岐、手前が請川方面です。

何やら大きめの石が転がっているなと近づくと…
蓑尾谷瀬井請川道標 ふたたび道標です!

右ハ せい
左ハ みのだに
同 う祢はた


と読みました。
補足すると、「だ」は、濁点があるかは不明瞭、
「左」は、「㔫」
「は」は、「𛂦」
に見えます。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
現在地と、位置関係です。 「せい」は、「瀬井」、
「みのだに」は、「蓑尾谷」、
「う祢はた」は、「畝畑」
ではないでしょうか。
「う祢はた」は、現地では「うけがわ」と思いましたが、方角や文字からして違いそうです。

分岐から先、平坦な道が続き…

…!
祠とキロポスト!
高瀬峠で見た景色と同じです!

…ただ、峠ではありません。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
場所はこのあたりです。

キロポストは、本体が下部まで露出タイプかつ土台も丸分かりタイプでした。
ただ、残念なことに、数字部分が一切残っていません。
また、これ以降キロポストは確認できておらず、和歌山県道45号那智勝浦本宮線におけるキロポストの北限は現在地です。
近くの県道(現在の静川請川線)では存在を確認できているため、あくまで那智勝浦本宮線におけるものです。
八幡宮 祠をよくみると…なんと「八幡宮」とあります!
那智勝浦本宮線、数多くの石仏さまとお会いできましたが、八幡さまははじめて、というより、
インターネット上でも見たことがないです。

八幡さまからのぞむ…キロポストです。
…失礼いたしました。

キロポストという近代的な構造物を前にする、
きっと100年以上は昔からこの地を見守る八幡さま…
よい景色です。

この先、分岐してそうですが…もちろん左へ進みます。

名残惜しく、何度も振り返ってしまいます。
八幡さまから、田辺市本宮町皆瀬川、車両通行不能区間のゴールまで

道はふたたび登りに転じ、所々に石段が見えます。

峠、切り通しです。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
それぞれの場所は画像のとおりです。
北は婆伊志峠を越えされは皆瀬川田代大野の諸村に到りかたし」(『紀伊続風土記 第3輯』)と、
「越えされは…到りかたし」に「大野村」があることから、
現行の地理院地形図から判断する限り、この切り通しはバイシ峠ではなさそうです。

ここからは「通行不能区間」終了まで、下りが続きます。
日当たり良好、路面健全。歩いていて楽しい区間です。

分岐です。
左は、本宮町田代へ至る徒歩道で、現行の地理院地形図に描かれているとおりです。
道標があってほしいところですが、見当たりませんでした。

しばらくは平穏は区間が続きますが…

羊歯ゾーンです…。
路面は安定していますが、下りのため一歩一歩が不安になります。

突破しました。
いきなりの平場です。

振り返りです。
石段と…その先の羊歯ゾーン。

道らしき植林のないスキマを進みます。
平場はかつて住居等があったと思いますが、
いくつかの石垣があるのみで、明確な痕跡は見付けられませんでした。

一段下がったところに道が通っています。

振り返りです。よい雰囲気です。

段々と続く田畑跡の間に続く小径。

いきなり道の様子があやしくなってきました。
上記の振り返り以降、分岐はなかったはず…。

平場はこの先で途切れ、白い花をつけた梅?の木に囲まれた袋小路に…。

どうしようもないため、木々の隙間を縫い斜面を下ってきました。
振り返ると、道っぽく見えなくもないですが、ぬかるみが酷く、転倒注意です。

ちょうど道に合流できたようで、こちらは北へと続いています。

こちらは南へと下っていく道。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
場所はこのあたりです。
地理院地形図上は正しく進んできたことになっています。
北側の道は描かれていません。

Yahoo!マップより引用。
Yahoo!マップでは、北へと続く道が確認できますが、今まで歩いてきた小径がそのまま北へと進むようなかたち、
南へ下る道は分岐すると描いています。

※現在地は、画像左下部分。

下り始めてすぐ、角材が乾燥のためか?並んでいます。

左手は、えらく急な斜面です。

右手には小径…この道が本来辿るべき道だったのかもしれません。

またもや分岐です。
ゴールへの道は左手ですが、見た目は右手の道の踏み分けが明瞭です。

植林地帯へ、急坂を下ります。

足元には石段、目の前にはリンボーダンス用の倒木。

周囲には多数の平場があり、集落跡であることがよくわかります。
地理院地形図では「下ノ峯」、角川日本地名大辞典による小字では「下野峯」とある、
皆瀬川下野峯集落はこのあたりから川沿いまで広がっていたようです。

清酒 此の友

とあります。
検索すると「此の友酒造株式会社」なる兵庫県の会社さまがヒットしました。

県道らしい幅員を取り戻してきました。

タイル張り構造物があります。
お風呂場だったのでしょうか。

住居跡らしい階段が見えてきました。

少し様子を見てみます。

これは…五輪塔でしょうか。

建物はあったようですが、どれも原形を留めていません。
敷地が広いため、寺院があったのかもしれません。

写真中央の九十九折石階段が、辿るべき古道です。

九十九折の途中です。

写真左側の石垣が古道、右側が住居跡です。

集落内の連絡路か辿るべき道かあやしくなりますが、
下る方、下る方と選び進みます。

先が明るい!

嫌な予感が…つい数十分前に見た光景とよく似ています。

実際は見掛け倒し、そのまま道が続いていました。よかった…。

石段を下り、植林地帯へ。

古道は路肩を石垣で補強されており、小さな沢を渡り続いています。

ぐるりと回り、右手には砂防ダムが出現。

集落が見えました!
白飛びした遠景に、住宅があります!

道が分岐しています。
写真は、北側へ登っていく小径です。

『みちと標識の写真館』さまの
そして道は二手に分かれるのだが(点線で示した部分)、
どちらが熊野川方面か分からず、ここで引き返した。

がここのようです。

集落へは折り返して石段が続くこの道。

和歌山県の「土砂流出防備 保安林」標識です。
『みちと標識の写真館』さまの写真にあったものと同じようです。
皆瀬川 ゴールが目視できる距離まで来ました。
あとはこの石階段をまっすぐ下るだけです。

苔生した石畳を下り終えると…

車道に復帰!

続けて、アスファルト舗装車道に復帰!

和歌山県道45号那智勝浦本宮線、
車両通行不能区間 突破!!!


那智勝浦町樫原小麦から、田辺市本宮町皆瀬川下野峯まで…長かった…。

徒歩走行距離は、約5.0km(寄り道含むため、実際は約4.0kmほど)、
徒歩走行時間は、約3時間28分、
標高の最高地点は、八幡さまの北側にある切り通しで約391m、
最小地点は、ゴール地点の約94mでした。

順調に進めば、畝畑から皆瀬川まで1日で歩くこともできそうです。
皆瀬川祠 請川までの快適車道、和歌山県道45号那智勝浦本宮線を歩いていると…
…対岸に祠が…!

まだ見ぬ古道がある!?
那智勝浦本宮線、皆瀬川旧道区間

明治44年測図昭和8年要部修正測図同28年応急修正5万分1地形図「新宮」を引用、加工。
対岸にある謎の祠というフリでしたが、あれはかつての県道です。
詳細は文献確認に譲りますが、那智勝浦本宮線の前身、本宮古座川線、さらにその前身の本宮那智停車場線は、
皆瀬川下野峯集落の中を通らず、山中を進み、祠のある川沿いまで下るルートでした。

その旧・現県道区間の分岐は、ぬかるみ斜面を越えた小径、
あの北側へと続く道が、かつての県道です。

※画像上は省略していますが、現県道は十九良谷川右岸、旧県道は十九良谷川左岸をゆくため、
実際の合流地点はまだ先です。

そんな訳で、皆瀬川下野峯より再び和歌山県道45号の車両通行不能区へ…。

三叉路を直進し、県道ではない方向へ少し寄り道してみます。

ちょうど草木で隠れていますが、お墓がありました。

急斜面を登る古道…こちらも集落内連絡道のようです。

現県道に戻り、旧県道へと急ぎます。

初訪問時は急ぎ駆け下りましたが、相当の道普請により支えられています。

右手にも石階段らしきものが見えますが、左手へ。

左手にも小径が見えますが、石段に導かれ今度は右手へ。

下りでは気付かなかった分岐を越え、石段に沿って進みます。

住居跡横の古道に辿り着けました。
ここからしばらくは一本道です。

このあたりは地籍調査済みであるため、杭を参考にしながら進みます。

九十九折ゾーンを越えると、五輪塔?が右手に見えてきました。

またお会いしましたね。

住居入口に、石積みがあります。
檜曽原の住宅前にも同じようなものがありました。

こちらのお宅は、まだ屋根の一部が残っているようでした。

正面、明るくなってきました。もう少しのはず!

角材ゾーンに到着!

たなべWebMapより引用。
いきなりですが、下野峯集落を貫くこの道、
県道のはずで、地理院地形図も和歌山県管内図もそう描き、
このページのタイトルだって「和歌山県道45号那智勝浦本宮線」です。
ただ、「田辺市道下峰線」という総延長741.84mの市町村道でもあり、
県と市で路線が重複しているのです。 田辺市道として供用しているかは未確認ですが、
県道と市道で認定重複、供用は市道としてのみ…ということも考えられます。

またもや寄り道で、角材ゾーンを越えた先にある分岐を進んでみます。

見上げると、平場と通せんぼしてくる木々たち。
…苦しめられました。

路面は安定しており、幅員ともに問題はなさそう…と思っていると、

古着が木々に巻き付けてあります。
一瞬、何とも異様に思えましたが…こも巻きでしょうか。

快適路が続きます。

ところどころ、石段らしきものが顔を出しています。

田畑跡らしき平場に至り、ここが終点か…と辺りを見回すと、
まだまだ登り続ける小径を発見。

前方に平場あり!

合流しました。
正面が初訪問時ルート、右手下りが今回のルートです。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
今回辿ったルートの軌跡です。
おすすめルートですが、地理院地形図の描く県道からは外れてしまうため、
県道走破を目指す場合は注意です。

分岐まで戻り、旧県道である北側の道を進みます。

進み出して早々の印象は、安定している!です。
現道が通行不能区間である箇所の旧県道ですから、大荒れを予想していましたが、
現在も使用されているのか、踏み分けも確かです。

防獣ネットだ~と呑気に思っていると…

やられました。進路を塞がれました。

…ワープ!

ワープしました。

穏かな旧県道が戻ってきましたが…

もう遠目にも見えていますね。

ここも…ワープ!

しました。

少し開けましたが…集落は見えず。
斜面は羊歯で覆われています。こんなところ進むなんていやですね…。

幸い路面はその攻勢からは逃れられているようです。

ベンチです。
…ベンチ???

腰掛けた途端、ひっくり返るトラップかと思いましたが、
足は相当しっかり固定されているようでした。

道は順調に下っています。

またもやベンチです。

ここに南東方向に下っていく分岐があります。
確か事前に見たYahoo!マップに、くの字に下っていく分岐があったけど、
地図で見たよりだいぶ北にずれているな…くらいにしか思いませんでした。

そのまま北へ進みます。

またもや分岐。道が続いていそうな右を選びました。

道がちょっとあやしくなってきたと思っていると…

別の道に合流しました。
明らかに自動車の通行を想定したサイズのダート道に…

振り返りです。
我々は右側の小径を歩いてきました。
ダート道は合流地点でチェーン封鎖(しかも古くはなさそう)されています。

ひとまず、このダート道がどこから来たのか、辿ってみます。

あらわれたのは、よき眺望と…倉庫?

轍からみるに、この作業道は現役、
奥に見えるお宅も同様です。

この先は、田辺市道川湯開拓橋線に接続しているようでした。

ダート車道を引き返し、合流地点に戻ってきました。
車道からのぞき込むと、小径は続いているようです。

一部区間は踏み分けが不鮮明ですが、道は続いています。

!?
木々の向こうに住宅があります。

近付いてみると…だいぶ風化が進んでいます。

寳酒造株式會社」と印字がある古いビンが転がっていました。

正面から見ると、まだ建物らしくはありました。

ここでGPS位置情報を確認すると(遅い)、皆瀬川からは外れ、どうも川湯にいることが判明。
ただ、この先すぐ車道に合流しそうでしたので、少し様子を見に行くことにしました。

肝心の合流地点の写真がないので分かりにくいですが、
うっすらと見える下りゆく平場が田辺市道川湯開拓橋線です。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
合流地点は地図のあたりです。
先程の建物は、合流地点マーク近くの建物記号です。

戻る途中、斜面に見えていた石垣を観察。
田畑跡でしょうか。ほかにも石垣が隠れていました。

ベンチ分岐まで戻ってきました。
確認できている下り分岐がこの一箇所であること、
これ以上戻っての防獣ネットワープは避けたいことから、ここを下ることにしました。

地理院地図(電子国土Web)より引用、加工。
軌跡は画像のとおりです。
灰色実線が田辺市道川湯開拓橋線です。
右下が分岐部分で、右下隅へと続くのがこの先の道です。

穏やかな道が続いていそう!

左手には田畑跡でしょうか、石垣が続いています。
初見では、ダート車道の続きかと思いましたが、そうではなさそう。
車道はいったいどこへ…?

グイグイと右へカーブしていきますが…方角は南。
ゴールへ向かうには北へ進まなければならないはず。

三連続ゴーラの向こう、固く羊歯に閉ざされています。
さすがにこれを進むのは…と思い下を見てみると…

道が続いている!
ここで折り返し、北へと向かうようです。

左上が下ってきた道、正面がこれから進む道…
路面を安定していそうですが、すぐに羊歯に埋もれてしまいそうな状況です。

…。

でも道は続いている!しかも石段がある!と一歩一歩前へ…。

開けました!
しかし傍らにヤツがいます。

皆瀬川の住宅の屋根が見えてきました。
ゴールは近いはず。

石段がある~と油断していると…

…。

…でも石段が…

…。

開けました!(n回目)

ここで防獣ネットが襲いかかってきました。
…が、彼は満身創痍のようです。

境界杭に囲まれた地籍調査杭くんです。

ついに羊歯から解放されました。たぶん。

…まだやさしい!

羊歯ゾーンを抜けてからも、道の状態は全体的によくありません。

倒木に倒木が重なっています。

このあたりは比較的歩きやすいです。

石段として鎮座する石がだいぶ巨大化してきました。

振り返りです。
だいぶわちゃわちゃしていますが、
この石段は古くから人々を支えてきた道である証左です。

十九良谷川が見えてきました。
対岸に見える現県道も同じ標高、これはゴール直前でしょう。
皆瀬川馬頭観音像 祠に辿り着きました。
馬頭観音像です。

正面にプチ天然片洞門があり、その先も道が続いています。
我孫子子権現移之 我孫子子権現移之

…とあるように見えました。
「子権現」さまの由来は、子ノ権現天龍寺さまのサイト「縁起 | 天台宗特別寺 子ノ権現天龍寺」より、
当山は、延喜十一年(九一一)六月十三日、子ノ聖が初めてこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。
その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。
現在の和歌山県天野の地に生まれた子ノ聖は、生来才知するどく仏教に通じ、
生誕が子年子月子日子刻であったため人々に子ノ日丸と呼ばれ、長じては各地行脚の後当山を開かれました。
聖は昇天の折、「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。
然れども、この山に跡を垂れて永く衆生を守らん。我登山の折、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。
故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん。」と誓いをたてられました。
以来、足腰守護の神仏として信仰されています。


とあります。

マグノリアさま「分布に特徴ある神社を考える: 子ノ神神社 その2 分布の特徴」によると、
紀伊半島における分布は、「旧の那賀郡、ならびに伊都郡に限られるよう」であり、
この地域では祀られていなかったようです。
また、同サイト「分布に特徴ある神社を考える: 子ノ神神社 その4 関係寺院・御利益の問題、アラハバキ神との関係」掲載、
「子神社 ご利益に足腰が関係するもの(判明分)」リスト中に、千葉県我孫子市寿2-27-10「白花山延寿院」があり、
延寿院 (我孫子市) - Wikipedia>には、
元々は我孫子宿の中心部にあり、子之権現社(子之神大黒天)の別当寺であった[1]。」とありました。

いしぶみにある「我孫子子権現」さまが、イコール子之権現社(子之神大黒天)であるかは分かりませんが、
分祀により遠く離れた紀伊国まで里帰りされた…と考えると、歴史の浪漫を感じずにはいられません。

ただ、「移之」した後さらに「移」したのか、祠の中にはいらっしゃらないようでした。

片洞門の先、旧県道が続いているはずですが、現在は会社敷地となっているようです。
※このまま進み、橋梁を渡ると、
そのまま会社建屋がある敷地に辿り着いてしまいます。

巨大石と我孫子子権現(跡?)
かつてはここを通り、請川へと至っていたはずです。

馬頭観音像手前にあった電柱らしき構造物は、「皆瀬川テレビ」とありました。
畝畑にもあった、共同でアンテナを設置する(していた?)組合でしょう。

旧県道探索はこれにて完了、現道へ復帰します。

十九良谷川の上流方角の様子です。
Yahoo!マップを見ると、左岸に別の道があるようですが、
県道ではないはずですのでここでは見に行かず…。

十九良谷川の下流方角、透き通っています。

ちょうどよいところに道があり、無事県道45号線現道に復帰できました。

現道沿いに、こんなものがありました。
広域基幹林道 谷口皆瀬川線 終点
管理主体 本宮町
八川神社

おまけです。近くにある八川神社を参拝します。
現在、Googleマップのレビューに現地の様子はありませんでした。

八川神社表記近く、林道谷口皆瀬川線より車道幅ダートを下ります。

人の通行のみ可能な橋梁の向こうが八坂神社の参道です。

「八川神社」の大きな看板の傍に、「下馬」の石碑があります。
『紀伊すぽっと』さま曰く、
本宮町内の神社で、下馬の石柱が建てられているのは熊野本宮大社以外ではここだけ。
だそうです。

実際に現地へ行くまでは分からない、想像以上に広大な敷地です。

ぜひお参りください。

橋梁のたもとには、このような木橋が架かっていますが…
全体的に傾いており、おなじみ鉄釘くんも顔を出しているため、渡橋は危険ですのでやめましょう。
和歌山県道241号静川請川線のキロポスト

和歌山県道241号静川請川線のキロポストです。
場所は、このあたりです。
田辺川湯キャンプ場の入口、川湯橋の目の前。

残念ながら、数字は消えてしまっています。

お地蔵さまと隣り合わせです。
文献確認
執筆中…
参考文献
『みちと標識の写真館』さま「主要地方道 那智勝浦本宮線(田辺市、新宮市) 本宮側の那智勝浦本宮線(通行不能区間)
『天台宗特別寺 子ノ権現天龍寺』さま「縁起
マグノリアさま「分布に特徴ある神社を考える: 子ノ神神社 その2 分布の特徴」、「分布に特徴ある神社を考える: 子ノ神神社 その4 関係寺院・御利益の問題、アラハバキ神との関係
近畿民俗学会 編『近畿民俗 = Bulletin of the Folklore Society of Kinki : 近畿民俗学会会報』(101/102/103)(1985年)
宇江敏勝『森のめぐみ : 熊野の四季を生きる』(岩波書店,1994.9)
…ほか多数

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