Home > 廃レポ > 新宮鉄道(旧紀勢中線) 第五次探索
開業百周年を迎え、新宮鉄道時代の遺構への訪問報告も増えるかと思いきや、 殆ど無い様で... (確認した中ではYABU様の2012年5月19日訪問が最新でした) 訪問から約二年が経とうとする御手洗トンネル、稲荷山トンネルなどの安否確認や、 旧松籟橋?(旧王子橋?)の銘板解読の為、勝浦へ。 |
まずはトップバッターさんの狗子川橋梁(約12m)から。 第四.五次訪問時からお変わりない様で。 [マウスオーバーで視点を変更します] |
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大狗子トンネル...の前に少し脱線して現行路線へ。 「大狗子踏切」です。 |
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105系新和歌山色です。 この子もいつかは単色に... 現行の「大狗子トンネル」を間近で観察することが出来ますが、 コンクリなのでスルーします。 |
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踏切を渡った先に現れた橋梁です。 木橋しています。 これ以上先には特に何もなさそうですので、線路跡へ戻ります。 |
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大狗子トンネル(約158m)です。 元々は新宮鉄道大狗子トンネルですが、 拡幅、コンクリート補強工事が行われ、車道用に転用、 新トンネルの開通に伴い旧道化しました。 多少の水漏れはあるものの、照明も稼働しており、通行に支障はありません。 写真の何処かを熊野古道が通っているはずですが、確認出来ません。 |
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勝浦方扁額には 道隧子狗大 とあります。 |
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新宮方扁額には 洞搖激感 とあります。 |
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大狗子トンネル新宮方です。現行路線との間に熊野古道への入り口があります。 [マウスオーバーで視点を変更します] |
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小狗子トンネル(約196m)です。 元々は新宮鉄道小狗子トンネルですが、 拡幅、コンクリート補強工事が行われ、車道用に転用、 新トンネルの開通に伴い廃道化しました。 水漏れもある上、廃道の為に照明も稼働していませんが、通行に支障はありません。 |
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勝浦方扁額には 小狗子隧道 とあります。 大狗子とは違い、何故か左横書きです。 |
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新宮方扁額には 洞満氣意 とあります。 此方は右横書きです。 |
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第三長野川橋梁(約19m)です。 車道化により、煉瓦積みや石積みは無く、全てコンクリートとなっています。 (追記) 熊野の鉄道100年を祝い未来を考える実行委員会様『懐かしの新宮鐡道』に、 煉瓦積みの第三長野橋梁の写真が掲載されていました。 車道化するに当たり、コンクリ橋に架け替えられたと思われます。 |
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第二長野川橋梁(約6m)です。 前回ははっきりしませんでしたが、どうやら第二長野橋梁はコンクリの様です。 接近は面倒に思えたので実行していません。 [マウスオーバーで拡大します] |
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第一長野川橋梁(約6m)です。 前回は訪問出来ませんでしたが、第二長野川橋梁と同様にコンクリですね。 [マウスオーバーで拡大します] |
お馴染み袖摺トンネル宇久井方坑口上です。 | |
坑門のすぐ上と、 | |
少し奥まったところにガッキーがいます。 | |
袖摺トンネル宇久井方坑口です。 坑口直前まで倉庫が迫っており、全景の撮影は難しいです。 昔は倉庫はなく、国道から丸見えだったそうです。 |
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坑口前には不法投棄物があります。 この不法投棄物の怖いところは、ちょっと自己主張し過ぎな釘さんと、 第二次探索時には存在しなかったことですね。 こんなところで人に会いたくないです。 [マウスオーバーで拡大します] |
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仕方がないので前回同様投棄物前からの観察とします。 人為的に切り取られたと思われる個所を除けば、目立った損傷は見当たりません |
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笠石、帯石、要石、ピラスターと新宮鉄道標準スタイルの坑口です。 ...夏期には植生で目も当てらない状況になっていそうです。 |
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NO.3 とあります。 袖摺トンネルは勝浦側、新宮側どちらから数えても三番目にあります。 |
袖摺トンネル(約281m)です。 新宮鉄道最長のトンネルで最も訪問しやすいトンネルです。 アクセス方法などは第四次探索をご覧くださいませ。 |
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一歩退くとトンネルの1/3が見えなくなります。 木々の成長の早いこと... 以前はここまで酷く無かった様に思います。 |
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振り返るとこの通り。 本当に鉄道が走っていたのか疑ってしまう程、 周囲は自然に還りつつあります。 |
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えらいところから顔を出しています。 | |
坑口付近には大きな亀裂があり、いつ崩壊してもおかしくありません。 唯一大きな崩壊なく残っている貴重な遺構ですので、 訪問はお早めにどうぞ。 |
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振り返りです。 足元には多数の投棄物がありますが、まだまだ序の口です。 |
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内部は煉瓦アーチ+石積み側壁とこれまた新宮鉄道標準スタイルです。 |
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第四次探索時の撤退地点です。 改めて確認すると、長靴の出番は一切ない程度の、本当に小さな水たまりです。 |
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煉瓦が剥離して素掘り部分が露出しています。 | |
退避坑を振り返って撮影。 現存する新宮鉄道時代隧道の退避坑は全て北側にあります。 現行路線はどうなのでしょうか。 |
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欠円アーチである点も共通です。 | |
一定間隔で紐?がぶら下がっています。 袖摺トンネルにのみ見られました。 |
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拡大してみました。 何かに転用しようとしたのでしょうか...? |
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煤の為か少し不気味な印象です。 | |
退避坑です。 | |
土砂で少し埋もれています。 |
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土砂に石材が加わってきました。 | |
煤区間が終わり、本来の煉瓦色が鮮明に観察出来ます。 | |
土砂石材区間も終わりが見えてきました。 | |
退避坑です。 | |
現存遺構の中では、最もきれいな状態です。 | |
破損はあるものの、この明るい煉瓦色さえあれば幸せ!! | |
水漏れもなく、投棄物も崩壊もない。 しかも汚れの無い綺麗な煉瓦アーチを仰ぐことが出来ます。 ...これ以上の注文はありません。 |
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「暗雲」の気配がします。 そろそろ例の区間が来るのでしょう。 |
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退避坑は黒く染まり、これでもかと不穏な空気を流してくれています。 | |
煤の汚れが減り、また綺麗な煉瓦アーチ区間が始まると思わせての、 コレです。 退避坑も半分煤でやられています。 この大量の不法投棄物がいつ持ち込まれたかは不明ですが、 四十年程前には普通に通れたと言う話は聞いています。 また、宇久井坑口前に倉庫が建設されたのも「最近」(15-20年程度前?)らしいです。 これ以上先へ進むのは危険である為、撤退します。 |
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「最奥部」からの振り返りです。 | |
車道用かと見間違うほど綺麗に残っています。 | |
前回撤退地点付近です。 新宮方坑口~投棄物地点までで最も水漏れが酷い区間でありました。 |
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脱出。 往路では気づきませんでしたが、 旧橋と坑口間の藪に新たなルートが構築されていました。 |
第四次探索時は解読不能とした勝浦方上流の銘板ですが、 第四.五次探索時に明かとなった、 祓川 に違いありません。 |
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祓 | |
川 | |
下流側の銘板は写真に撮ったことがないなぁと思いつつ草木をかき分けると... | |
ありません... この親柱周辺のみ混凝土の質が異なるため、 後年に補修した際に銘板を据えなかったのではないかと考えられます。 |
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補修箇所を考えると、やはり何方かが特攻したのでしょうか。 このカーブだと仕方ありません。 |
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旧橋新宮方へやってきました。 「ゴミのポイ捨て禁止」看板が新たに追加されています。 |
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新宮方下流の銘板です。 ...何度見ても解読出来ません。 |
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「和」?「一」?しか分からず。 判明次第追記します。 |
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再訪しましたが、やはり分からず。 数字らしき文字がないので、(もしこれが竣工年度だとすれば) 十干十二支で書かれているのでしょうか...? 「〇和」「〇〇」「一月」??? |
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ただ、先頭の文字が「昭」らしくないのが... | |
その上、後年の改修の為か銘板の一部が埋まっているという... | |
新宮方上流の銘板です。 此方も分かりそうにないなと観察していると... |
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は が確認出来ました!! 下は「し」? もしや、この銘板は橋梁名を記している!!?? |
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しかし、その二文字以外は解読出来ず。 判明次第追記します。 |
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再訪しました。 前回、「しょうらいはし」かなぁと思うも 先頭の文字が「し」ではないので不明としましたが、 此れはどう見ても「志」です。本当にありがとうございました そんな訳でして、 現行松籟橋の横に架かる旧橋は、 旧「松籟橋」です!! |
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ただ、これは...? | |
2011年の台風で崩壊したと思われる祓川橋梁(約18m)です。 新・廃歩に崩壊前の写真が掲載されています。 |
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自分が確認している中では、現存する新宮鉄道唯一の煉瓦橋梁となります。 | |
間近で観察したい衝動に駆られますが、 周辺にアプローチ出来そうな箇所はなく... |
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流石にあそこを下りるのは危険です。 | |
余談ですが、巴川製紙工場が現役だった頃はこの佐野川に排水が流されていた為、 橋上の臭気は酷かったらしく、 曰く「バスに乗っていると排水の臭いがする橋」だそうです。 普通は記憶に残らない様な橋でありますが、 この様な形で思い出となるとは、橋さんは複雑な心中でありましょう。 |
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所変わりまして、此方は熊野古道高野坂入り口付近にある、 逆川橋梁(約4.5m)です。 現在は熊野古道の一部となっています。 |
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橋梁が歩道として整備される以前は、此方の道が利用されていたそうです。 | |
廃道してます。 | |
山側には構造物跡があります。 | |
振り返りです。 かつては橋梁が架けられていたのでしょう。 |
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擁壁があります。 余り古く見えませんので、 十数年前までは此方が利用されていたのではないでしょうか。 |
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そろそろ現道との合流地点かと思いますが、 先へ進んでも収穫はなさそうですので撤退します。 |
御手洗トンネル手前、先人様方の拓いた道筋が現れました。 | |
ふと茂みが気になり覗き込むと、旧線時代の遺構が見えます。 丁度この辺りから分岐していたのでしょう。 |
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冬場にしか現れない?道筋を辿っていくと... | |
御手洗トンネル(約186m)です。 難工事であった(第四.五次探索時判明)らしく、 勝浦新宮間が一度に開業出来なかった一因であると考えています。 |
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水路は今も尚現役です。 | |
トンネル手前から振り返り。 日光が余り差さない場所の為、往時の姿を比較的残しています。 |
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植生の邪魔なく撮影出来るのはこの御手洗トンネル新宮方坑口のみですが、 代わりに泥濘があります。 訪問&通り抜けには長靴が必須アイテムです。 |
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新宮鉄道標準の装飾です。 | |
優しい緑に包まれた坑口はここだけ!!! 反対側も含め、他の坑口の惨状は... |
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苔生した廃トンネルが嫌いな探索者なんかいません!!! | |
勝浦方坑口付近にあった丸太が此方まで移動しています。 「この丸太に掴まるんじゃ!!」 とか、そんな声が聞こえてきそうです。 |
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振り返りも特上の御手洗トンネル新宮方坑口です。 | |
内部について、「煉瓦色」は殆ど残っておらず、白化が目立ちます。 | |
振り返りです。 今のところ路面の状況もさほど悪くはなく、 長靴が無くともここまでは来ることが出来そうです。 |
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退避坑、欠円二層アーチです。 | |
路面がそろそろ怪しいです。 | |
泥濘ゾーンに入りました。 少しでも浅い所をと中央を歩いたり、端を歩いたりとジクザグに進みますが、 何処も双方似たような状態です。 |
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退避坑です。 余り無駄な動きをしたくないので構わず進みます。 |
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この辺りが最も泥濘の酷いところでしょうか。 出口(仮)まであと少しです。 |
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御手洗トンネルで現存する最後の退避坑です。 | |
相変わらず酷い崩落と、辛うじて確保されている出口に興奮します。 約2年前の写真と比較すると、ほんの少しだけ土砂の流入が見られます。 [マウスオーバーで第四次探索時の写真を表示します] |
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振り返りです。 本当に歩き難い区間でした。 |
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今回も何とか脱出出来そうです。 ここが閉塞するとかなり面倒なことになりますので--; |
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この刻印は袖摺トンネル同様日本煉瓦でしょうか。 | |
脱出口からの振り返りです。 | |
今回は背中をぶつけない様、慎重に進みます。 | |
ここから入れと言われても、なかなか踏み出せません。 | |
御手洗トンネルは数メートルに亘り崩落しているものの、 何とか前進出来る程度に隙間があるのが素敵です。 それにしても、何度見ても唖然とさせられます。 心なしか崩落側に全体が傾いているようにも見え、 先程よりも気を遣い脱出を試みます。 |
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無事脱出。 この光景を見るのは三度目ですが、やはり入りたい等とは全く思いません。 |
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このひびは... | |
此方も此方でえらいことになっています。 何なんですかこの空洞... |
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アーチと要石が辛うじて確認出来る程度です。 | |
分かり難いですがピラスターが写っています。 | |
12月末、大晦日にしてこの植生。 | |
よく観察すると笠石帯石が確認出来ます。 ...現地では写真ほど鮮明には見えませんでした。 |
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要石です。かなり大きく見えます。 | |
これまた分かり難いですがピラスターです。 恐るべし自然の力です。 |
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坑門全体を写していますがアーチの一部しか見えません。 | |
更に一歩退くとトンネルがあるかどうかさえ怪しくなります。 |
ボッシュート溝を越え、只今稲荷山トンネル前です。 倒木に緑が加わり、ここからではアーチすら確認出来ません。 |
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稲荷山トンネル(約229m)です。 倒木は2011年の台風の影響だと考えています。 |
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装飾は他の二つのトンネルと同じですが、 坑門から受ける印象は三者三様で面白いです。 |
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前回訪問時は気が付きませんでしたが、 ピラスター上部に損傷があります。 |
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そして内部は人為的に破壊されています。 御手洗トンネル勝浦方にあった空洞も、 この様に破壊された跡であったのかもしれません。 残存する3つのトンネル全てに存在するこの穴は一体何なのでしょうか。 |
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路面の様子は袖摺と御手洗の丁度中間で、 投棄物が無い分、袖摺より歩きやすく思います。 |
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振り返りです。 どのトンネルよりも混沌としています。 |
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退避坑です。まだ比較的煉瓦色が残っています。 [マウスオーバーで拡大します] |
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反対坑口に何やら怪しい影が... | |
退避坑です。白化が進み、あまり美しくありません。 [マウスオーバーで次の退避坑を表示します] |
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混凝土の何かです。 | |
今回の探索で最後の退避坑です。 アーチには煉瓦色が少し残り、嬉しい限り!! |
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勝浦方坑口の様子が約2年前と少し違います。 [マウスオーバーで第四次探索時の写真を表示します] |
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はい。惑星チクリーンからの投身自殺ですね。 | |
今回水の流れはありませんが、 代わりに竹藪があり、前回同様坑門山側には近付くことが出来ません。 |
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「穴」が原因で崩壊してしまったのではないでしょうか。 | |
海側には落下した煉瓦アーチが散乱しています。 [マウスオーバーで拡大します] |
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日本煉瓦の刻印でしょうか。 | |
全景を撮影しています...が竹藪で殆どその姿は見えません。 | |
現行路線との接続を確認しようとも、この藪では叶いません。 [マウスオーバーで視点を切り替えます] |
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この様な姿になっても尚、完全に崩壊しないトンネルと、 それを作り上げた明治大正の偉人達には唯々頭が下がる思いです。 |
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新宮方坑口のピラスター上部と同様、此方も...?と思い見上げると、 まさかまさかで笠石ごと無くなっています。 [マウスオーバーで拡大します] |
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特にこの稲荷山トンネル勝浦方坑口は吹き曝しとなりますので、 他の坑門と比べ、崩壊が進んでいるのでしょう。 |
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落下したアーチが、物言いたげに此方を見つめています。 | |
暫くは訪れないでしょうから、 この雄姿をしっかりと記憶に焼き付け、 帰路に就きました。 |
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今回新たな成果は得られませんでしたが、 遺構たちの無事が確認出来ただけでも、 価値ある探索であった思います。 |