Home > 廃レポ > 新宮鉄道(旧紀勢中線) 第四.五次探索
初めに繙きますは「紀伊東牟婁郡誌(下)」、昭和45年12月5日発行です。 主目的はトンネルの長さを知ること。 どうか載っていますように... |
「新宮鐡道」の頁には以下の様にあります。全長九哩六十七鎖八十節にして、此間に *哩=マイル/鎖=チェーン/節=リンク ↑を適当に計算して15km。手元にある時刻表から計算すると14.9kmだったので間違いはなさそうです。 新宮勝浦間に現在ある駅は 新宮、三輪崎、紀伊佐野、宇久井、那智、紀伊天満、紀伊勝浦 の7つ。 郡誌の「八停車場」の内、
郡誌と現在の駅の掲載順が異なるのが気になりますが...どうしてでしょう。 |
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「八停車場」の内、紀伊佐野駅は駅名の変遷が面白く、 佐野村(大正2年)->秋津野(昭和9年)->紀伊佐野(昭和17年) と国有化の際に「秋津野」なる聞きなれない名前になっています。 調べると佐野内に秋津野と言う住所があるそうで。 成程と昭和9年の改称に就いては納得出来ましたが、 昭和17年にまた元に戻したのが何とも和歌山クォリティと言いますか... |
さて、郡誌に戻り読み進めていきますと、 「全線頗る難工事にして」に続き、 隧道の如きは "トンネルの長さ"来ました!!! |
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まず、御手洗トンネル。 満遍なく泥濘が広がり、三輪崎方に至っては大きく崩壊、這いつくばって脱出することになります。 「新宮鉄道の歴史を巡る2DAYSウォーク」にて崩壊は近年発生したことが判明。 長さは約186mと計算出来ました。 [第四次探索時の写真です] |
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次に、稲荷山トンネル。 新・廃歩の表紙にもなった有名人さん。 御手洗トンネルと同じく三輪崎方が少々崩壊していますが、歩行に支障はありません。 「新宮鉄道の歴史を巡る2DAYSウォーク」にて崩壊は近年発生したこと、 そして御手洗トンネルより先にそれが発生したことが判明。 長さは約229mと計算出来ました。 [第四次探索時の写真です] |
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袖摺トンネル。 国道から見える 廃棄された中で"トンネル自体に関しては"最も保存状態が良いトンネル。 ただし、最も歩行が困難なトンネル*1でもあり、外から見るのが一番幸せ。 長さはなんと約281mで新宮鉄道最長のトンネルです。 *1 参考文献:よとと様 紀勢本線廃線跡トンネル
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小狗子トンネル。 拡幅、コンクリート補強工事が行われ、最近まで国道トンネルとして活躍していました。 現在は廃道となっています。 「小狗子隧道」と左横書きの扁額があります。 長さは約196mと計算出来ました。 |
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大狗子トンネル。 小狗子トンネルと同じく拡幅、コンクリート補強工事が行われ、 最近まで国道トンネルとして活躍していました。 現在は旧道となっています。 「道隧子狗大」と右横書きの扁額があります。 長さは約158mと計算出来ました。 |
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トンネルの長さが判明した為、満足満足と思いつつ更に読み進めると、橋梁に於いても市田川(六三呎五)逆川(一五呎)塩屋川(一八呎)祓川(六〇呎) なんと各橋梁の長さまで判明しました!!! この内(袖摺トンネル近くの橋台を除き)一つくらいは煉瓦さんがいらっしゃるだろうと思い、 急遽新宮へ向かいます。 |
途中、紀伊田辺駅で新宮鉄道100周年記念のヘッドマークを付けた列車に遭遇。 ここではきちんと那智->那智口->勝浦の順に並んでいます。 [マウスオーバーで拡大画像が表示されます] |
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宇久井駅に到着した序に、袖摺トンネルの様子を見に行きます。 よしっ! [マウスオーバーで拡大画像が表示されます] |
所変わりまして市田川橋梁です。長さは約19mで、 見たところすべてコンクリの様です。 |
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残念ながら煉瓦積みや石積みは見れらませんでした。 |
逆川橋梁がある熊野古道高野坂に向かいます。 | |
上の写真からほんの数百メートルの所で辺りが暗くなってきました。 逆川橋梁に就いては既に何度も攻略済み(第三次/第四次探索)ですので気楽に行きましょう...! |
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...途中でお会いした方と話し込んでしまい、こんな状態に。 |
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逆川橋梁、長さは約4.5mです。 逆川は数十年前までは屎尿垂れ流しで非常に汚れていたそうです。 この橋梁が歩道として整備される以前は、もう一つ山手側に道があったとか。 確かに何らかの構造物があった跡は見られました。 [マウスオーバーで第三次探索時の写真に切り替えます] |
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いつものところに到着。ここから高野坂1.5kmを 自転車を担ぎ、ライト片手に走る ことになります。 |
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暗いですが足元さえライトで照らせば普通に進むことが出来ます。 電池が寿命を迎えないことを願いつつ走ります... |
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妙な興奮状態の中ゴールインです。 暗闇の中の熊野古道も案外悪くないかもしれません。 |
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時間の関係で訪問出来なかった塩屋川橋梁(約5.5m)ですが、 第三次探索の際に撮影していましたので、それを代用させていただきます。 石積みの様に思えますが...もしそうであれば、 (逆川の旧橋梁が石積み、新橋梁がコンクリですので) 煉瓦橋台の存在は極めて難しいものとなってしまいます。 [マウスオーバーで拡大画像が表示されます] |
さて、翌日第三長野川橋梁(約19m)がある小狗子トンネル前にやって参りました。 左が現JR紀勢本線、中央が旧国道42号線かつ旧新宮鉄道、右が現国道42号線です。 |
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"旧国道"長野橋の親柱には「昭和三十三年五月竣功」とあります。 線路付け替えなどが行われたのは昭和13年ですから、 それから十数年の間は小狗子トンネルは煉瓦のまま放置されていたのでしょうか...? 旧旧道(熊野古道)より楽ですから、 大仏鉄道の黒髪山トンネルの様に使用されていたかもしれません。 |
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残念ながらコンクリの様です。 逆に煉瓦なら驚きですが。 |
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新宮鉄道時代のものとされる扁額です。 小狗子/大狗子トンネルに扁額がある理由は初期に掘削し始めたから、とされています。 それなら写真の一枚くらいあっても良いのですが、残念ながら自分は見たことがありません。 因みに、小狗子トンネルは「洞満氣意」、大狗子トンネルは「洞搖激感」とあります。 [マウスオーバーで大狗子トンネルの扁額を表示します] |
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大狗子トンネルと抜けると狗子川橋梁があります。長さは約12mです。 | |
拡大すると...塩屋川橋梁と同じで、開通当時から石積みでしょうか。 | |
下から橋台を見ると... 現行路線側が練積みで、旧国道側が谷積みとなっています。 年代的には谷積みの方が古い筈...!(参考:廃道をゆく2) [マウスオーバーで説明を非表示にします] |
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現国道側を見てみると...コンクリートブロックでした。 石垣の変遷がよく分かるなぁ(棒 もしこれが谷積みであれば旧国道が旧路線で確定でしたが、 こうなるとわかりませんねぇ。 当時の路線と変化なしで、(橋台+)石垣の改修が最有力でしょうか。 [マウスオーバーで説明を非表示にします] |
勝浦方面へ向かう途中で小さな橋梁を発見しますが、アプローチ出来ず断念。 煉瓦ではなさそうです。 |
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また小さな橋梁を発見。水の量も少なく、簡単に近づくことが出来ました。 | |
石積みでした... 深刻な煉瓦不足です。 |
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第二浜の宮橋梁とのこと。 然すれば先程の橋梁は第一浜の宮橋梁? |
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更に観察を続けると、 鐵道省 の文字が見えます。 鉄道省廃止は昭和18年ですから、そこそこ古いのではないでしょうか。 |
さて、那智川橋梁です。長さは約39mで新宮鉄道最長です。 「新宮鉄道の歴史を巡る2DAYSウォーク」にて、申請は煉瓦積みであるも、 実際は石積みで作られたことが判明しました。 2011年の台風12号により現行橋梁が流されるも3ヶ月で復旧したことで有名? 海側には新宮鉄道時代の旧橋台+旧橋脚があるのですが... |
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やはり台風の時に旧橋脚は流されてしまったようです。 残念でなりません。 [マウスオーバーで視点を変更します] |
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更に「天満開渠」なる小さな橋梁を発見。 | |
しかも 鐵道省 です。もしかしてあまり珍しくない? |
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完全コンクリ橋台です。石垣は谷積みです。 |
引き返して第二長野川橋梁(約6m)へアプローチを試みますが... 煉瓦でない上、近づくのが面倒そうなのでこれにて終了します。 |
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第一長野川橋梁と第二長野川橋梁の間にある怪しい橋梁。 近づくと、「宇久井避溢橋」の文字が。 銘板は見つかりませんでした。 [マウスオーバーで切り替えます] |
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線路が傾いていることがよく分かります。 | |
第一長野川橋梁(長さ約6m)です。 此方も接近困難とみて深入りしません。 |
袖摺トンネル宇久井方です。 橋梁探索は佐野川を残し一度中断し、 季節的にも今がチャンスと思い、あることを試みます。 |
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そんな訳で坑門の上にやってきました。 このアングルからの写真はネット初公開? |
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あまりチャンスではなかった...? | |
なかったです。 | |
刻印がないかと探しますが見つからず... | |
相変わらずの坑門前。 | |
やはり不運な袖摺トンネル宇久井方でした。 | |
例のルートで佐野方へ。 | |
ご無沙汰しています。 | |
新宮鉄道最長(約281m)の袖摺トンネルさん。 廃棄物さえなければと悔やまれます。 |
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同じ様に坑門上に登ろうとしますが、これは... | |
無様に滑り落ちた後、少しだけ内部にお邪魔します。 いつ崩れてもおかしくないので興味がある方はお早めに!! |
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...本当に大丈夫でしょうか。 [マウスオーバーで見上げます] |
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因みに亀裂があるのは入り口直ぐです。 | |
煉瓦に刻印はないかと探していますと... | |
ありました!! 新和歌浦第一隧道で確認した刻印と同じ、四弁花(と内部に小さな丸形)でお馴染みの 堺市の日本煉瓦株式会社かと思われます。 [マウスオーバーで新和歌浦第一隧道の刻印に切り替えます] |
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さて、前回は境界標があり現行路線方面には近づきませんでしたが、 「よぉ考えると巴川製紙がなくなったからスーパーセンターがあるんよね。」 となり、少しお邪魔することに。 |
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少し進むとアスファルトの塊が大量に落ちています。 場所は少し現今路線よりの微妙な位置です。 何故こんなところに... [マウスオーバーで拡大画像が表示されます] |
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まさかのMOWSON和歌山店。 | |
現行袖摺トンネルです。 特に収穫もなく、佐野川の橋梁に向かいます。 |
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2011年の台風で崩壊したとされる祓川橋梁です。 佐野川橋梁なのでは?と思いましたが、佐野川は祓川、王子川とも言うそうで。 長さは約18m、自分が確認した中では現存?する新宮鉄道唯一の煉瓦橋梁です。 トンネルの近くだから煉瓦だった? [マウスオーバーで拡大画像が表示されます] |
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第一次?新宮鉄道橋梁はこれにて終了。 以下は新宮鉄道に関する小ネタを掲載します。 |
明治45年3月3日付の紀伊毎日新聞に以下のような記事が掲載されています。●岩石崩落の椿事なんと死者が出るほどの崩壊が発生したようです。 しかも「降雨のため前日破壊したる個所」とあり、地盤が不安定であったことが伺えます。 [写真は現在の状態で、記事にある当時の崩落によるものではありません] |
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紀伊毎日新聞は定期的に「新宮鐵道隧道開鑿句報」としトンネルの開削状況を記事にしています。 崩壊前の明治45年2月27日付の記事には、 ●新宮鐵道隧道開鑿句報 とあり、なんと1/3も開削していない時期に崩壊が発生したことになります。 [写真は現在の状態で、記事にある当時の崩落によるものではありません] |
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御手洗トンネルが貫通したのは明治45年5月25日で、明治45年5月26日付の記事には、●御手洗隧道貫通 とあります。 注意したいのはトンネルは「貫通」しただけで、写真の様にはまだなっていない点です。 先に書いた様に、御手洗トンネルがある三輪崎新宮間は遅れて開通していること、 そして死者が出る様な崩落事故が発生したことを考えると、どれ程の難工事であったかがよく分かります。 |
新宮鉄道100周年記念復刻版絵葉書第一集より、「新宮鐵道那智川鐵橋」です。 今は亡き橋梁もはっきりと分かる一枚です。 |
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新宮鉄道100周年記念復刻版絵葉書第一集より、「佐野袖摺隧道」です。 袖摺トンネル+祓川橋梁とついにやけてしまう構成ですが、実はもう一つ重要なものが... ↓「王子橋はどこ」にて。 |
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新宮鉄道100周年記念復刻版絵葉書第二集より、「稲荷山隧道ヨリ鈴嶋ヲ望ム」です。 今は崩壊してしまった稲荷山トンネル三輪崎方坑口のお元気な姿に感動です。 マウスオーバーで表示される第四次探索の写真を見ると、様々な変化が見て取れます。 こう言った「時代の流れ」から自分なりに色々と考えるのが「廃」趣味の醍醐味であると、 改めて感じさせられます。 絵葉書は観光協会などで発売中です!! ぜひお買い求めください!! [マウスオーバーで第四次探索時の写真に切り替えます] |
佐野王子近くにある「王子橋」バス停。 でも近くの橋は「松籟橋」ですやん。 |
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そうなるとこの子が「王子橋」となりますが... 旧「松籟橋」である可能性もあります。 親柱が読めなかったのが痛いです。 KIKUO様熊野古道 新宮には、 本来の古道は、佐野王子碑近くの王子川を渡り、国道をはずれて右手の山中にはいる。 とありますから、この辺りに「王子橋」があったことは間違いなさそうです。 |
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当時の写真があればなぁと思っていると↑「佐野袖摺隧道」の復刻版絵葉書をGet。 袖摺トンネル+祓川橋梁に加え、当時の橋梁も写されています!!! 流石にこれを入れて3代「松籟橋」は無い筈ですので、 写真の木橋の名称は「王子橋」であろうと思います。 あとは旧国道橋梁の親柱解読ですが...これは次回の宿題としましょう。 |
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第四.五次新宮鉄道探索はこれにて終了です。 (小ネタとして文献によりトンネルの長さが違うなどありますが割愛^^;) 何とも地味ですが、私的には初めて文献に基づく調査で、 (普段は実地->文献の順で色々と悔しい思いを重ねてきました) そこそこ成功に終わったことに非常に満足しています。 次回は更なるトンネル調査と親柱解読を実施する予定です。 新宮鉄道(旧紀勢中線) 第五次探索にて一部銘板が解読出来ました。 |