才床池のトンネル(仮)【和歌山県東牟婁郡古座川町】
Googleマップ上の「池野山のクマノザクラ」のレビューに、DEF ABC氏投稿の素掘り隧道写真があり、
調べると池野山環境衛生センターの南東にある「才床池」に至る道にあることが分かり、現場に急行しました。
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Googleマップ上の「池野山のクマノザクラ」のレビューに、DEF ABC氏投稿の素掘り隧道写真があり、
調べると池野山環境衛生センターの南東にある「才床池」に至る道にあることが分かり、現場に急行しました。
「トンネル池のトンネル」
何言ってんだおめぇ的名称ですが、「トンネル池」は和歌山県(紀の川市)桃山町に実在します。
そして、その由来となった「トンネル」も存在します。
これは面白いと2013年3月から数か月、探索を何度も行ったものの…
未だ発見に至っておりません。
何方か情報提供お願いしますm(_ _)m
先人からの贈り物 | 紀の川ぷるぷる通信にトンネル坑内のカラー写真が掲載されています。
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/800秒 F7.1, ISO 1000, 18mm
国道424号線から愛宕峠への道中、よくわからないものがあります。
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/1000秒 F7.1, ISO 1000, 35mm
一旦停止
踏切注意
もちろん、辺りに鉄道はありません。
柵の向こう側は崖です。
…何でしょうか。
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/500秒 F7.1, ISO 1000, 20mm
愛宕峠です。サイクリングに丁度良い道のりです。
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/1600秒 F7.1, ISO 1000, 18mm
撮影場所: 地図
峠から下るとすぐ、トンネル池に到着。
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/2500秒 F7.1, ISO 1000, 55mm
撮影場所: 地図
どこかに手掛かりはないものかと、うろうろ…
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/2500秒 F7.1, ISO 1000, 55mm
撮影場所: 地図
結局トンネル池では収穫なし。増田池にやってきました。
撮影日: 2013/03/23
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/2500秒 F7.1, ISO 1000, 55mm
撮影場所: 地図
向こう側にも鳥居がありますね。
増田池とトンネルを繋ぐ水路を探しますが、ここでも収穫は無し。
撮影日: 2013/04/08
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/3200秒 F4, ISO 1000, 18mm
後日、謎の「踏切注意」看板の反対側に山道を発見。
ここからのアプローチを試みます。
撮影日: 2013/04/08
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/1250秒 F4, ISO 1000, 22mm
和歌山市某所の登山道より人の手が入っている印象。
撮影日: 2013/04/08
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/800秒 F4, ISO 1000, 18mm
惑星チクリーン。
撮影日: 2013/04/08
カメラ: Nikon D5100, AF-S DX NIKKOR VR 18-55mm f/3.5-5.6G, 1/400秒 F4, ISO 1000, 18mm
トンネルはないかと道から外れ、奥へ奥へと進みますが、何も見つからず。
この後、何度か探索を行うも、トンネルの手掛かりはつかめませんでした。
参考文献:
トンネル池(坂本村長の偉業)
先人からの贈り物 | 紀の川ぷるぷる通信
桃山町企画室町誌編纂班「桃山町誌 歴史との対話」
室谷 正美「水に生き水と斗う人々 紀の川流域 桃山地区の場合」
廃道界のカリスマ平沼義之氏のサイトに深谷隧道のレポートがアップロードされたので、
便乗して記事を投稿^q^
#文章力が無いので、箇条書きで!
#他の林道との関係等、端折っている箇所多数です。詳細は各文献にて。
#平沼氏のレポート内に
一方の坑口が右書きで、他方が左書きというのは、他の例が思いつかない。
とありますが、例えば小狗子隧道がそうでしょうか。
まぁ、あれは特殊な物件ですので例外扱いでしょう^^;
当時の三川村は紀州のチベットと称された秘境で、電灯はなかったというから驚きです。
森林組合(真砂氏)と行政(古賀氏)、立場は違えど、深谷隧道への思いは同じでした。
真砂久一氏による。
深谷林道築設成功のもととなった下津屋林道や、測量、道路開設までの数多の困難については、
真砂久一氏『深谷林道築設当時の思い出』にて。
『深谷林道築設当時の思い出』にあるように輸送の転換の他、
県林務課林道係長の古賀寛氏『深谷隧道物語』によると、
等々の理由もあった。
『大塔村誌』によると、
しかし、
があったという。
[以下、『深谷隧道物語』中心。真砂氏は召集を受け、現地を離れる。また、復員後も工事には関与しなかった。]
古賀氏曰く、
中央との折衝やインフレとの戦い、建設に関する詳しい情報は古賀寛氏『深谷隧道物語』にて。
『深谷林道築設当時の思い出』より引用
『深谷林道築設当時の思い出』より引用
Googleストリートビューで見る限り、開削済みのようです。
『大塔村誌』より引用
『深谷隧道物語』より引用
『深谷隧道物語』:641.50m
『深谷林道開設当時の思いで』:647m
『大塔村誌』:643m
微妙に違う^q^
尚、工事費は壱千二百九十三万六千円(『深谷林道開設当時の思いで』)